2013年1月25日金曜日

体罰と愛の鞭


 2013124日の読売新聞朝刊のコラム(編集手帳)に次のような記事があった。

 

 近鉄球団を常勝チームに育て上げた名将、西本幸雄さんは試合中に選手を殴り、球場を静まりかえらせた事がある◆1球目は打つなと指示したにもかかわらず、いとも簡単に初球を空振りした打者に鉄拳を振り下ろした。が、監督の早とちりだった。打者は円陣の間、バッターボックスにいて指示を聞いていなかったという◆「彼に期待しとったんですなあ。ついカッとなって…後で聞いて、しまったあと思いました」と晩年の講演で振り返っている。ほがらかな回想に大阪の高校生の体罰自殺をかさねる。どちらも殴打なのに、行き着く先は栄光と闇に分かれた。スポーツ界は体罰全面禁止の機運だが、この帰結、児童を犯罪から守る取り組みにどこか似ていないか◆今の子供たちは学校で「知らない人と話すな」と教えられ、街から大人たちとの会話が消えた。陰惨な事件が続いたせいである。失われた交流の代償も、児童の安全のため惜しくないと考える人が多いのだろう◆もんもんとする体罰容認派の方たちに告げたい。いったん闇が現れれば、どんな価値が元の場所にあろうと、戻るのは難しいだろうと。

 

これを読んで、新聞記者と言うのはこういう考え方をするのかと思った。寂しい限りである。体罰と愛の鞭を混同しているような気がする。西本さんが球場で殴った一発と大阪の高校教師が殴った何十発を一緒にしてもらったら堪らない。高校教師の場合、これは明らかに体罰を通り越して、傷害事件としか言いようがないからである。自身のストレスを吐き出す為に殴っているような気がする。こんな教師が全日本ジュニアのコーチをしていたと聞くと、本当に驚かされた。あるいは、そこに元凶があるのではと思った。勝敗至上主義に成るのは、生徒のためではなく、自分の地位を守るためではなかったのか…生徒のためを思って殴った事など無いと思う。そうでなければ何十発も殴れないと思う。

 昔、王さんが、堀内さんを鉄拳制裁したという話を聞いたことがある。他にもこれに類似したことを多々聞いたことがある。ただし、相手の事を思って殴った一発だ。袋叩きにしたなど聞いたことが無い。愛の鞭とはそういうものだ。仮に、記者の言うように体罰が無くなったとして、陰湿な言葉の暴力はいいのだろうか。現代っ子にとって、そちらの方が問題のような気がする。

 私の住む町は、人口三十万の中核都市だ。私が近所のスーパーに買い物に行く途中、見知らぬ小学生に「こんにちは…」と声を掛けられる事がよくある。私は思わず「こんにちは、学校はもう終わったの…道草せずに早く帰りましょうね…」と声を返す事がある。たぶん、大人の目が子供に注がれるようにと、学校で声をかけるように言われているのだろうと思う。コラムに書かれている事とは真逆の世界だ。新聞記者には、一面だけを見て物事を判断してもらいたくないと思った。
 
 追記
 私が小学校低学年の事だった。担任の先生がA君のほっぺたを平手で叩かれた。A君は、どうしてだろうという表情で先生を見つめていた。すると先生が、自分の間違えに気付かれた。先生は、慌ててごめんと言うと、頬ずりするようにしてA君の頬をさすりながら謝られた。私はその光景を見て、担任の先生が以前にもまして好きになった。子どもながらに先生の愛情が見えたのだと思う。

 追記
 長文のコメントを頂いたので、もう少し書く事にします。
 私の記憶では、愛の鞭の語源は、日本ではなくイギリスだと聞いています。イギリスの小学校の教師が、どうしても言う事を聞かない生徒に対して行った行動だと(間違っていたらごめんなさい。)…また、最近韓流ドラマをよく見るのですが、「宮廷女官チャングムの誓い」など、時代劇でよくみられる事ですが、母や師匠が、幼い子供や弟子に対して、間違った事をした時や言う事を聞かなかった時に、叩き棒(竹のような細長い棒)で、ふくらはぎを叩くシーンをよく見ました。韓国には、こんな文化があるのかと驚いたことを思い出します。
 ところで私は、父母から叩かれた記憶はありますが、小学校から大学を卒業するまで、先生に叩かれた記憶はありません。だから昔の日本が、体罰が全ての教育だったとは思いません。ある程度のしつけは、家庭で行われていたように思います。時代の流れかもしれませんが、現代は、家庭が学校に何でも押し付けているような気がします。
 また、昔は、教室で暴れるような生徒はいませんでしたし、教室で生徒に刺されて殉職するような先生もいませんでした。大人たちは、対応に苦しんでいるようにも見えますし、子供たちには、現代病というストレスが、圧し掛かっているようにも見えます。
 私は、体罰を肯定しません。しかし、体罰と愛の鞭は違うものだと思っています。じゃあ、どう違うのか分かるように言ってみろと言われると、理路整然と言う事は出来ません。私には、言葉や文章で表現する力が無くて残念に思います。ただ、韓国の叩き棒のように、ある一定のルールがあるような気がします。勿論、その中には、母や師匠の子や弟子に対する愛も含まれていると思います。
 
 西本さんの件ですが、私はもっと凄いシーンを見た事があります。昔、フジテレビでプロ野球ニースという番組がありました。その番組で、西本さんが解説をしている時に、突然若手の看板アナウンサーを一発殴られました。テレビを見ていた私は、本番中なのになぜと驚きました。温厚そうな顔をしてあるのに、こんな一面もあるのかと…だから、球場で殴った件について、カッとなって殴ったという御意見も良く分かります。しかし、それだけではなかったと思います。なぜなら、西本さんは監督です。「指揮官の言う事を聞けない人間だ」などと思ったら、その選手を使わなければいいのです。それがプロの世界です。しかし、西本さんは使い続けた(この場合、御自分のミスに気付かれていたのですから当然の事ですが、プロの世界には、これに類似した事はよくあると思います。)。その選手の才能を認めていたからだと思います。選手を育てようという気持ちがあったからだと思います。西本さんの心の中に、愛情に近い物があったからだと思います。
昔の言葉に、「言われるうちが花」という言葉があります。小言を言われるうちは、まだ見込みがあるという意味なのでしょうが、何も言われずに降ろされて、以後起用されなかったというケースもあると思います。どんなに言っても一定の水準に達しないと思ったからだと思います。プロの世界とは、そういうものだと思います。だから、西本さんが殴った一発と成長過程の高校生に、キャプテンを辞めたら試合に出さないぞと言って、何十発も殴った教師の体罰(暴行事件)とは違うと思います。
 
大阪の高校生体罰事件で、あぶり出されたのか、全国各地で体罰問題が浮かび上がっています。特に、柔道のナショナルチームの体罰問題は最たるものだと思います。
201321日夕刊のコラム(よみうり寸評)には、次のように書いてあります。
 
技のきれもなければ、動きにスピードもない。全日本柔道連盟の対応はこう酷評されても仕方がない◆柔道の女子日本代表選手ら15人が園田隆二代表監督とコーチから暴力や暴言などパワーハラスメントを受けていたとして日本オリンピック委員会(JOC)に告発したという一件のこと◆はやく言えば<臭い物には蓋>の対応はもう通らないと知るべし。続投の決まっていた園田監督が全柔連に進退伺を出すという展開になった。きのう、監督が記者会見で表明したのだが、その前日、全柔連幹部は監督の留任を明言したばかりだった。◆発端は昨年9月。全柔連は問題の暴力を認知しながら、内々でことを収めようとした。選手1人に謝罪、監督には厳重注意で済ませ、続投は早々と10月に決めた◆これで15人は身内の全柔連を見限り、JOCへ告発に及んだ。組織の中で互いの信頼が崩れているというほかはない。全柔連は事態を軽視し最悪の対応をした◆<礼に始まり礼に終わる>柔道に暴力、暴言。その礼法が泣いている。
 
私もこのコラムに書いてある通りだと思います。全柔連は何を考えているのかと…体罰の内容は伏せてあるので分かりませんが、監督自身が訴えの内容を全部認めているので、かなりの事をやっていたのだと思います。それなのに全柔連は戒告処分にとどめ、人事を変えようとしなかった。インタビューに出て来る柔道関係者は、監督をかばう発言ばかりで、身内を守っていると言われても仕方がないと思います。業を煮やした選手達は、JOCに訴えたのです。しかし、JOCの反応も鈍かったような気がします。全柔連に内部調査をさせて報告を待っていただけなのですから…これが外国なら、直ぐに外部委員会を立ち上げ、監督を休職させて選手と引き離し、徹底的に真実を追求すると思います。いまからでも遅くないので、JOCにはそのような対応をして欲しいと思います。
プロとアマチュアの垣根が狭まれて、どのように表現していいかは分かりませんが、彼女たちは、いわゆるプロとは違います。そしてまだ若く、将来のある選手達です。また、それぞれにコーチもついているはずです。その彼女たちが「恐かった」「代表選考にマイナスになると思って何も言えなかった」と言っているのですから、よほどの事があったと思われても仕方がないと思います。
奇しくも、この日の夕刊の一面に、オリンピックで二連覇をした内柴被告の判決の内容が掲載されていました。教え子を強姦するなんて……全柔連は、恥ずかしくないのかと思いました。今、悪しき意味合いから柔道に注目されているのに…柔道は武道ではなかったのかと、人を作らずして武道と言えるのかと…なのに全柔連は、体罰問題を覆い隠した。外国の新聞社の報道には、「加納治五郎先生は、そのような教えをしていない」とまで書かれた事を恥ずかしく思わないのか!監督コーチの入れ替えは勿論ですが、執行部の総退陣が必要ではないのかと思いました。
2013年2月3日
 
 
追記
 考え方はいろいろあると思います。コメントを下さった方(たぶん、匿名の方とアンドロメダの帝王さんは、同一の方だと思います。)の御意見は謹んで拝聴いたしますが、私の考え方は変わりません。
 私は、子供にとって父母が最高の教師であると思いますし、決してお嬢様でもありません。父はサラリーマンですし、小学校から高校までは普通の公立の学校を卒業しています。また、普通の方よりも、かなりスポーツをしたつもりです。
 子供は、ヤカンの熱さや危険な事を口で言っても分かりません。そういう時は、子供の手をヤカンに少しだけ触れさせる事も大事なしつけだと思いますし、私は、そういうふうにしつけられたと思っております。これは、愛の鞭にも通じる事だと思います。
201324日)


5 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

初めまして。

私はこの編集手帳を読んで、
非常に不愉快になったので、検索してこちらのブログにたどり着きました。

率直に言って、私はブログ主さんとは異なり、西本幸雄も大阪の体罰教師も同じ穴のムジナだと思います。

西本幸雄の殴打が「愛の鞭」などとは到底思えません。西本のセリフ、「(前略)ついカッとなって(後略)」からわかるように、西本は彼のことを思って殴打したわけではなく、「カッとなって」怒りにまかせて暴行行為に及んだとしか考えられません。

なおかつ、後年にこのことを講演会で話していることに鑑み、西本はほとんど反省もせず、講演会の鉄板ネタとして面白おかしく話したものと思われます。

私は小中高とよく教師から体罰を受けてきましたが、一度も「愛の鞭だ」とか、「良かった」とか「自分が悪い」とは思ったことはありません。

私は体格的に恵まれていたため、中学以降は抵抗すれば体罰教師の1人や2人くらいは一撃で倒せたわけですが、それをしなかったのは、単に停学や退学などの処分を恐れたからにすぎませ。

体罰などをするのは、言葉で説得できない野蛮人がやることです。

この編集手帳の言いたいことは、「体罰は良くない」ということだと思いますが、それには私も同意するものの、西本の暴行行為を美化しているのが非常に不快なわけです。

「常勝チームに育て上げた名将」
「鉄拳を振り下ろした。」
「ほがらかな回想」
「行き着く先は栄光」

こういう表現から、西本の行為を美化しよう、正当化しようという意図が見て取れるわけです。

常勝チームにしさえすれば、選手を暴行してもいいのでしょうか?

この法治国家の日本では、それは許されません。有形力を行使すれば暴行罪、ケガをさせれば傷害罪です。

もっとも、契約で暴行をされてもいいという事前同意があれば別ですが。まあそんな変人はいないでしょうし。

長文失礼しました。

アンドロメダの帝王 さんのコメント...

全く同意できませんね。



まあ、別に同意してもらいたくて書いたわけじゃないけどw

結局、あなたの言いたいことは、西本は①愛情がある、②一発しか殴っていない、から大阪の体罰教師とは違う、いうことだと思うけど


まず、①について、「カッとなって」殴った奴に、愛情もクソもない。仮に愛情があったとしても被害者には何の関係もない。

いきなりアナウンサーも殴るような異常者に、愛情なんて感情あるのかねw

次に、②、回数なんて関係ない。1発だけだろうが、何十発だろうが、何百発だろうが、何万発だろうが、体罰=暴行=犯罪行為、になんら変わりはない。


「愛の鞭」などという気持ち悪い言葉がイギリス発祥なのは承知している。だが日本古来のものじゃなくてイギリスからパクったものだからといって、正当化する理由にはならない。欧米か!ってなw


あなたはこのゴミ編集手帳を批判しているみたいだけど、西本の暴行を正当化している点について、私から見たら、書いたバカ記者と同程度にあなたもおバカさんなんだけどw

体罰受けたことないから、人の痛みがわからへんのやろねwどんなお嬢様だよw

まあこんな素人のしょーもないブログ相手にしててもしゃーないね ほな、さいなら

匿名 さんのコメント...

検索してたまたまこのブログに行き着きましたのでコメントをさせて頂きます。

西本さんの拳骨は「暴力」ではありません。
西本さんは「早く、こいつ等を野球で食べさせてやりたい」って思いがありました。
戦後間の無い頃、ノンプロの監督時代は「菜っ葉しか食べてない選手にビフテキを食わしてやりたい」
阪急 VS 巨人の日本Sでの岡村捕手の退場劇でも西本さんは「選手がアウトやと言ったらアウトや!」と詰め掛けた報道陣に言い放ちました。
同じく阪急 VS 巨人の日本Sで投手の山田が王に逆転サヨナラHRを打たれた時立ち上がれない位のショックを受けた山田に寄り添ってベンチに引き上げ山田に「今日は好きなだけ飲んで来い」と言ったり、阪急と年俸で揉めている山田に対して「お前が満足するのやったら、足らん分ワシのポケットマネーから出そうか?」と声を掛けたり
近鉄が初めての日本Sで広島に敗れた時「あいつ等は初めてやから堪忍してやって」と詰め掛けた報道陣に言ってました。
これ等の事から西本さんは、父親的な愛情で選手達に接していた事がよくわかります。

体罰と暴力をごっちゃに考える事自体ナンセンスだと思います。

あさこ さんのコメント...

私、柔術(ブラジル系武道)の稽古に通っています。経験長いです。良いのか悪いのか、テクニック練習中、先生に、ちょっと強めに足叩かれる、間違える度に頭小突かれることありました。ある日、背中丸めたのを注意され、グーで小突かれたこと、あります。やや、ショックだったけど、暴力というほど、痛くもなく、私に強くなってほしい、試合で勝ってほしい愛の鞭に感じました。少し位、相手思って叩くのも、しょうがないかなと思います。

kei さんのコメント...

あさこ様、コメントありがとうございます。武道の場合危険をともないます。技術の未熟な者が遊び半分で技などを掛けたら死につながる事故にもなりかねません。痛さや危険を教えるのも師匠の務めだと思います。だからと言って無暗に殴りつづけることは暴力だと思います。やってはならない事だと思います。愛の鞭とは、師匠が弟子に対して愛情があって成立するものだと私は思っています。