2011年7月31日日曜日

韓流問題(高岡蒼甫の発言に対する浜村淳の批判)に思う事

浜村淳がラジオ番組で高岡蒼甫を批判するも、韓流絶賛で逆に反発の声(http://npn.co.jp/article/detail/04537678/)を読んで、私はどちらに組する者でもありませんが、浜村さんが韓国の文化政策を絶賛されるのはおかしいと思います。なぜなら、これはいわゆる不平等条約だからです。
 韓国では日本の文化は一部しか解禁されていません。韓国は日本の文化が恐いのです。だから自国には入れさせない。そして自国の文化を輸出する。これは、韓国の芸能マーケットは小さく、商売にならないからです。だから日本向けの商品を作って持ってくる。少し奇抜に見えるかもしれませんが、よく見るとジャニーズやモーニング娘をコピーしただけです。ただ、日本の芸能界は、最初から完璧を求めず、荒削りで歌唱力が少々劣っていても将来性があると判断すれば、デビューさせてから育てますが、韓国の芸能界は、完璧を求めてスクールで訓練させてからデビューさせるようです。必然的に親への経済的な負担が掛かります。だから一度ヒットすると、経済的な負担を回収する為に銭ゲバを起こす事もよく見られ、ファンの失望につながることもあります。つまり、韓国では芸能界というマーケットが未だに確立されていないように思います。そこに日韓の違いがあるかもしれません。

 民放が、なぜ韓流ドラマを放映するのか私なりに考えてみると、自前で作るよりは安上がりだからだと思います。高額の予算で、自前のドラマを作って当たらないよりも、安い韓流ドラマをブームに乗って放映した方が好いと思っているのです。ようは、自己否定なのです。
 韓流と呼ばれるようになったのは、NHKの冬のソナタや宮廷女官チャングムの誓いが当たってからだと思います。NHKの場合、ちゃんと日本人の感性に合わせて作品を選んでいると思いますが、民放の場合は、ただ韓流というだけで放映しているように思います。韓国ではヒットしたのかも知れませんが、日本人の感性には、合わない作品があるようです。
 私は、韓流のドラマをよく見ます。ただ「面白い」と思って見る場合と、「ドギツイけど、韓国の人はこんな風に考えるのか」と思って見る場合があります。毛嫌いするのではなく、相手の文化を冷静に分析するのも面白いと思います。
 振り返ってみれば、私の子供のころは、アメリカのドラマが湯水のようにテレビから流れていました。サンセット77・ハワイアンアイ・ララミー牧場・ライフルマン・名犬ラッシー・ディズニーのドキュメントや子供映画…数え上げればきりがありません。今の韓流の放映と比べても比べ物にならないほどの多さでした。確かにアメリカの文化で満ち溢れていた時代ですが、害悪になったとは思っていません。
 日本人は古代より、いろんな文化を吸収し、いらない物を切り落とし、独自の文化を作って来たと思います。今、韓流の歌やドラマが多少テレビで放映されたからと言って、韓流に毒されるような、軟な日本文化ではないと思います。それよりも、私が生まれる以前の事ですが、敵性語や敵性スポーツなどと言って、日本から締め出した時代がありました。その時代ほど暗い時代は無かったと思います。お互いの建設的な意見をぶつけ合うのは良いことだと思いますが、それが感情的にエスカレートするのはどうかと思います。

2011年7月24日日曜日

元祖市民ランナー采谷義秋選手

 巷では、今年(2011年)の東京マラソンで日本人トップの3位(2時間8分37秒)となった川内優輝選手の事を市民ランナーと持てはやしているようですが、元祖市民ランナーとも言うべき、采谷義秋選手の事をご存知ですか。
采谷選手は、1960年代後半から70年代に活躍されたマラソンランナーです。あの伝説のランナー、メキシコオリンピック銀メダリストで、根性の人と形容された、君原健二選手と互角以上に戦われた名ランナーです。
采谷選手は、日本体育大学出身で、在学中は箱根駅伝で区間賞や東京ユニバーシアードのマラソンで優勝されるなど活躍されました。卒業後は実業団には行かれず、広島の県立高校の教諭をされながら、マラソンランナーとして活躍されました。
采谷選手と言えば、何といっても、メキシコオリンピックの代表の座を君原選手と熾烈な争いをした事で有名です。当時、君原選手は東京オリンピック以後スランプに陥り、メキシコは危ないと言われていました。しかし、高橋進コーチと二人三脚でメキシコオリンピックを目指す事になりました。そこに立ちはだかったのが采谷選手でした。
メキシコオリンピックの最終予選(毎日マラソン)の結果は、①宇佐美選手②采谷選手③君原選手でした。しかし、この大会は欠場したものの、国際マラソン(現在の福岡国際マラソン)で、クレートン(2時間10分の壁を初めて破った)と競り合い、負けはしたものの当時の世界最高記録を破った佐々木精一郎選手の当確は周知の認めるところでした。
マラソン代表の枠は三つ、残る二つを宇佐美・采谷・君原の三選手で争っていたのです。宇佐美は、最終予選で優勝したという事ですんなり決まりましたが、残りの一枠を采谷と君原のどちらにするかで喧々諤々の論争が起きたのです。


大会名
別府マラソン
昭和42年2月
プレオリンピック
昭和42年9月
国際マラソン
昭和42年12月
別府マラソン
昭和43年2月
毎日マラソン
昭和43年4月
宇佐美
3位
2時間14分50秒
3位
2時間24分30秒
13位
2時間18分16秒
5位
2時間16分48秒
1位
2時間13分49秒
采谷
(不参加)
(出場できず)
6位
2時間14分49秒
2位
2時間15分22秒
2位
2時間14分23秒
君原
1位
2時間13分38秒
2位
2時間21分57秒
(足痛・不参加)
3位
2時間16分32秒
3位
2時間14分46秒
佐々木
2位
2時間13分38秒
4位
2時間26分13秒
2位
2時間11分17秒
1位
2時間13分23秒
(不参加)

(マラソンの青春・時事通信社参照)

上の表は、至近5レースの四者成績表です。これを見てもらえば分かるように、直接対決で、采谷選手が君原選手に勝っています。当然、采谷選手が選ばれるべきと思うのですが、ここでもう一つの条件が浮かび上がって来ました。それは、メキシコオリンピックの特殊性にありました。メキシコシティーは、海抜2300メートルで空気が薄く気温が高いという気象の特殊性にありました。
代表選手の原案を作る強化部会では、高地でのマラソン経験が豊富な君原を代表にすべきだという意見が持ち上がりました。そして、宇佐美、佐々木という新人に、ベテランの君原を加える事は、構成上の要件でもあるという意見が…この意見を強力に推し進めたのが、君原選手のコーチでもある高橋進氏でした。君原が一枚加われば、日本チームの中から入賞、あるいは旗を上げる事が出来ると…
こうして強化部会の原案は、宇佐美、佐々木、君原の三人を正選手に、采谷は補欠と決まりました。しかし、その後の理事会では、この原案が覆ります。喧々諤々の論争が続いたのです。結局、その日には正選手を決める事が出来ず、四人を代表選手に選び、折を見て正選手を決める事になりました。
その後、君原はウィンザーマラソンで優勝をし、采谷はメキシコで高地トレーニングをしたのですが結果が出ず、正選手には宇佐美、佐々木、君原が選ばれました。マスコミは、大騒ぎしました。当時、私は小学生だったので、世の中が騒いでいる事は知っていましたが、郷土の君原選手が選ばれた事を喜んでいました。しかし、今考えてみると、落とされた采谷選手には、後ろ盾のない市民ランナーの悲哀を感じます。そして、選ばれた君原選手には、何というプレッシャーを掛けたのかと感じます。いずれにしても悲劇でした。(後に女子マラソンでも、これと同じような事が、有森裕子選手と松野明美選手の間で繰り広げられました。記憶にある方もいらっしゃると思いますが、ここでは、そういう事例があったという事だけにとどめておきます。)
この後は、皆さんもご承知の通り、君原選手がメキシコオリンピックで見事に銀メダルを取られました。さすがに名伯楽と言われていた高橋進コーチの考えが間違いではなかった事が証明されたのです。しかし、采谷選手の側から見てみれば、最終予選が終わった後に、ハードルをもう一つ付け加えられるという、究極の後だしジャンケンをされてしまっては、どうする事も出来なかったと思います。まして采谷選手は、公務員で市民ランナー、実業団のように海外合宿などには慣れていなかったと思いますし、特定のコーチはおらず、練習量も日頃と比べれば、かなりのハードスケジュールになっていたのだと思います。ハンディーが大き過ぎたと考えられます。
しかし、采谷選手は、このままでは終わりませんでした。一人、黙々と走り続けられました。2年後の70年12月6日の福岡国際マラソンでは、2時間12分12秒(自己ベスト)で3位。翌年の71年3月21日の毎日マラソンでは、2時間16分45秒で優勝。そして、翌年の72年3月19日の毎日マラソン(ミュンヘンオリンピックの最終選考会)では、2時間22分48秒で、①宇佐美②君原に続いて3位となり、ミュンヘンオリンピックの代表の座を得る事が出来ました。
ミュンヘンオリンピックでは、2時間25分59秒で36位と振るいませんでしたが、市民ランナーが、実業団の選手を相手に、オリンピックの代表になった事だけでも素晴らしい出来事でした。まして、この当時の日本のマラソンの水準は、現在とは比べ物にならないほど高かったのです。世界最高記録を出す選手やオリンピックでメダルや入賞を取る選手が沢山いました。その中から選ばれた代表なのですから、素晴らしい足跡だと思います。
例えば、寺沢徹選手は、63年の別府大分毎日マラソンで、裸足の王様アベベの記録を上回る2時間15分15秒の世界最高記録を出して優勝しました。寺沢選手はとにかく強かった。それだけが記憶に残っています。そして、君原選手が目標とする選手でした。しかし、その重圧が、東京オリンピックでは重くのしかかり、15位で終わりましたが、その翌年(65年)の国際朝日マラソン(現在の福岡国際マラソン)では、2時間14分48秒の日本最高記録で優勝しています。
重松森雄選手は、65年4月のボストンマラソンで、2時間16分33秒の大会新記録で優勝。さらに6月のウィンザーマラソンで、2時間12分00秒の世界最高記録を出して優勝しました。これは、前年に行われた東京オリンピックでアベベが作った記録の更新です。
佐々木精一郎選手は、67年の福岡国際マラソンで、デレク・クレートン選手(豪州)に次いで2位でしたが、優勝したクレートンの記録は、2時間9分36秒という途方もない大記録でした。17キロ付近から独走態勢に入って、誰も寄せ付けなかったのですが、佐々木選手が果敢に追い上げ、28キロ付近で追い付き、それからしばらく並走したのですが、34キロ付近で振り切られ、2位でゴールしました。記録は2時間11分17秒で、重松が持つ当時の世界最高記録を上回る結果を出しています。

東京オリンピック(1964年)
3位 円谷幸吉 2時間16分22秒
8位 君原健二 2時間19分49秒
15位 寺沢徹  2時間23分9秒

 メキシコオリンピック(1968年)
2位 君原健二  2時間23分31秒
9位 宇佐美彰郎 2時間28分6秒
途中棄権 佐々木精一郎

 ミュンヘンオリンピック(1972年)
5位 君原健二  2時間16分26秒
12位 宇佐美彰郎 2時間18分58秒
36位 采谷義秋  2時間25分59秒

宇佐美選手は、君原選手の次世代で最強のマラソンランナーでした。オリンピックの代表にも、君原選手と同じく3回なっています。しかし、クレートン選手や寺沢選手と同じように、オリンピックでは不思議と活躍する事が出来ませんでした。プレッシャーも有ったのかもしれませんが、この時期は、スピードマラソンが台頭してきた時期とも重なります。そしてマラソンは、従来は冬の競技でしたが、オリンピックは夏場の大会でした。そのような観点から、生理学上の問題をトレーニングに生かせなかったのかも知れません。そういう意味では、アベベ選手の強さは、圧倒的なものでした。

 これらを見ても分かる通り、当時の日本は、マラソンの強豪国でした。福岡国際マラソンには、世界の強豪選手が大勢遣って来ました。ミュンヘンオリンピックの覇者フランク・ショータ―選手(米国)も、世界デビューは福岡国際マラソンでした。
 最近の日本の選手は、2時間10分を切ったら、サブテンランナーと言って持てはやされていますが、采谷選手が活躍した時代は、四十数年前の記録を目標にするほど、ていたらくでは無かったのです。そういう意味でも、公務員で市民ランナーの采谷選手をもっと再評価すべきだと思います。そして現在、公務員で市民ランナーの川内優輝選手へのアドバイスをお願いしたいものです。

 参照文献
 ぼくはなぜ走るのだろう  浜上潮児著       講談社
 マラソンの青春      君原健二・高橋進共著  時事通信社
 福岡国際マラソンプレイバック(福岡国際マラソン公式サイト)
 Wikipedia (ウィキペディア)

2011年7月10日日曜日

TBSの「JIN-仁-完結編第11話最終章後篇 完結~時空の果て…150年の愛と命の物語が起こす奇跡のタイムスリップの結末」を見ました(6/26)

 仁友堂では、野風と咲が話をしていました。
 咲は野風に「手は一つだけございます…」と言います。
 野風は咲に「元の世に戻ることでありんすか…」と言います。
 咲は野風に「もちろん、願う事しか出来ませぬが…」と言います。
 野風は咲に「ということでありんすな…咲様は先生に、ご自分のお気持ちをお伝えになりんしたのですか…」と聞きます。
 咲は野風に「先生は、力を振り絞って、仁友堂のみんなに、今持てる技術を伝えようとなさっています…私は、もうそれだけで充分でございます…」と答えます。
 野風は「咲様…」と言います。野風の目には、咲の姿がいじらしくもあり、もっと素直になればという思いもありました。

 恭太郎は、勝に呼び出され、勝邸にいました。そして、フランスへの官費留学の打診を受けていました。
 恭太郎は「私がフランスへ留学でございますか…」と言います。
 勝は「徳川からも何人か人を出すことになっている…オレが推薦するから、オマエはフランスに留学しろ…オマエがいくら悔やんでみてもアイツは帰ってはこねい…前を向け、恭太郎…」と、恭太郎を諭します。しかし、恭太郎は即答することが出来ませんでした。恭太郎の心のうちには、お役目とはいえ、龍馬を死に追い込んだ原因は自分にあると思っていたからです。

 江戸では、無血開城をしたとはいえ、徳川の旗本たちの不満分子が、官軍と小競り合いを続けていました。
西郷は勝に「徳川は謀反ば考えとるとでごわすか…話が違う…」とねじ込みます。
勝は西郷に「彰義隊は、徳川が認めた市中取締り隊です…」と苦しい言い訳をします。

医学所の松本良順が、仁友堂に訪れていました。良順は仁に、幕府の不満分子が会津に集結して、ひと戦する計画があることを伝えます。そして…
良順は仁に「私は、最後までお供するつもりです…今日は一つお願いしたい事があって伺いました…」と言います。
仁は「何でしょうか…」と言います。
良順は「私がいなくなった後、江戸で何か事があったら、医学所の者たちにお指図を願いませんか…」と言います。
仁は少し考えて「私は、そういう時に、一番間違っちゃうかもしれませんけど…」と笑みを浮かべながら言います。
良順は仁に「では、その間違った道をお指図ください…」と言います。良順には確信がありました。今まで仁を見て来て、決して医の道を侵すような医者ではないという確信が…
この話を聞いた新門辰五郎は共の者に話します。
「仁先生には、しがらみが無いからなあ…オレも松本先生もしがらみだらけだから…オレらは、まず考える…でけい目で見れば、それが正しいかどうかはわからない…」

仁は江戸の町を歩いていました。その手には杖が握られていました。杖なしでは歩けないほど、仁の体は弱っていました。
仁は、官軍兵の一人を旗本の不満分子たちがいたぶっているところに出くわします。そして、官軍兵の腕に着けてあった布切れを取って逃げます。
仁は倒されていた官軍兵を起こしながら「大丈夫ですか…」と言います。官軍兵は、恥ずかしさのあまり「覚えとれ…」と言って、逃げて行きます。
喜市が仁に「彰義隊の連中が、官軍の錦切れを取って嫌がらせをしているんだよ…」と言います。
仁は思います「ほめられた事じゃないけど、おさまりが付かないのだろう…確か、幕末から明治にかけて、あちこちで不満を持った武士が反乱を…江戸時代も終わるんだな…
オレがここに来た意味も分からないで終わるのだろう…まあ、人生ってそんなもんだろう…ここで終わりを迎えるとして、最後にオレが出来る事は何だろう…」

仁は、仁友堂で夕食を食べていました。茶碗を握ろうとした時、仁は握る事が出来ずに、茶碗を落としてしまいます。
仁は咲に「すいません…」と言います。
咲は仁に心配させまいと「この器は、生きていたのかもしれません…」と軽く聞き流します。
仁は「すいません…」と言って咲を見ると、咲の姿が野風に見えました。仁は、脳腫瘍が進行して、手先の運動障害や幻覚症状が現われていました。
咲は仁に「先生の手術を仁友堂では出来ませぬか…」と聞きます。
仁は咲に「私の手術には、バイポーラという道具がどうしても必要です。どうにもなりません…」と言いながら、笑みを浮かべます。
咲は仁に、語気を強めて「こんな時に、無理に笑わないで下さいまし…」と言います。
仁は咲に「でも、江戸の人たちは、笑うのが上手じゃないですか。私も見習いたいと思って…上手じゃないということですね…」と言うと、仁は少し落ち込みます。
すると咲は、思いつめたまなざしで「元の世に、お戻りになる方法は無いのでございますか…」と仁に聞きます。
仁は咲に「行ったり来たり、自分で出来るんだったらいいのですが…出来るのならやっています…でも、それって、すごく便利ですよね…ちょっと戻って治してもらって…ここに無い薬を取って戻ってきたりしてね…」と、軽口で喋ります。
咲は、仁の軽口に真剣見が無いと思ったのか、さらに語気を強めます。
「先生は、助かりたくないのでございますか…」
 助かりたいと思うのは、人間として当たり前の事でしょうが、そこが医者の性と言うか…現実の事を考えれば、自分の死が迫っている事は、仁自身が一番よく分かっていました。
仁は咲に「それは助かりたいですよ…でも、出来ない事を考えて嘆くよりも、出来る事を遣って笑っていたいというか…」と言います。
咲は話を聞いて、仁の顔を直視する事が出来なくなりました。仁の笑みの裏側に、仁の苦悩が見えたからです。
仁は咲に「そんな顔をしても、何も良くならないですよ…咲さん…」と言います。
咲は、ただ「はい…」と、小さな声で答える事しか出来ませんでした。
咲は一人になると、鏡の前で笑顔の作り方を研究します。

橘の家には、恭太郎と一緒に龍馬の暗殺を命じられた、旗本が遣って来ていました。そして恭太郎に「我らは、新政府など絶対に認めぬ…最後の一兵になっても抵抗するつもりだ…橘、上野で待っている…」と言い残して、立ち去ります。

仁は、緒方洪庵の「国の為 道の為」の額を見上げて考えていました。
「医者が最後に出来る事は何か…」と

仁はある決意をしました。それは、自信の死後、自信の遺体を献体する事でした。現代でこそ制度化されていますが、それでもわが国では献体の数が不足しているのに、江戸期では、この様な事は考えられない事でした。
仁は、仁友堂のみんなを集めて訓示をします。
「今日から、特別な講義をします。その成果を私が死んだら、私の体で確かめて下さい…と言う事なので、皆さん宜しくお願いします。」と
一瞬、場が静まります。そして佐分利祐輔が「そりゃあ先生…先生が死んだら先生を腑開けせいと言う事ですか…」と言います。
仁は「はい…脳の構造の集中講義を今からします。それを元に、私が死んだら実物を見て下さい…仁友堂には金がありません…ペニシリンをお金に帰ることもできなかったし、皆さんに医者としての地位を約束する事も出来ません…私が皆さんに残せるのは知識だけです。だったら出来るだけの物を残したい…この腫瘍も全て…私の死も全て、皆さんの役に立てて下さい。私がそうしてほしいのです…」と言います。
仁友堂のみんなは、黙っていました。その場が重苦しい空気に包まれようとした時に、咲だけが「はい!」と返事をします。その顔には、笑みが浮かんでいました。それは、咲の仁に対する精一杯の想いでした…

恭太郎は、上野の寛永寺に集まっている仲間のところに着きました。
仲間の一人が「来たか、橘…遅かったではないか…」と言います。
恭太郎は、小さな声で「はい、申し訳ござらぬ…」と言います。恭太郎の心は、どうすべきなのか、まだ定まっていませんでした。

仁は、仁友堂で脳の講義を始めようとしていました。
「じゃあ始めます…私の場合おそらく脳の…」
仁は、自分の脳腫瘍について説明していました。
「症状は、頭痛・吐き気・目まい・幻聴…」
すると祐輔が「脳腫瘍の頭痛は、ただの頭痛とどう違うのですか…」と質問します。
仁は「CTスキャンが無いんだよな…」と独り言を言います。そして、「きりきりという感じかな…脳をねじられて吐きそうになる感じですかね…」と説明します。
その時、仁に発作が起きます。咲は心配そうに、仁を見つめていました。

上野では、恭太郎の仲間が檄を飛ばしていました。
「明日、官軍が攻撃を仕掛けて来るというのか…それが何だと言うのだ…我らの意地を見せるのだ…」と、そして仲間の目には、恭太郎がその場から遠ざかって行くのが見えました。すると仲間は「橘!逃げるのか…」と叫びます。
恭太郎は「具足を取りに行くだけです…」と答えると、それを口実に自宅へ帰ります。

勝は、仁友堂に来ていました。
勝は、仁の容体を心配して「大丈夫ですか先生…」と言います。
仁は「ちょっと疲れが…勝先生こそまた胃の腑が痛むのですか…」と言います。
勝は「旗本どもが、官軍の錦切れを取って暴れやがるからよ…オイラも休む暇が無いんだよ…」と言います。
仁は「勝先生も大変ですね…」と言います。
勝は「すまねい、こんな話で来たんじゃなかったんだ…」と言うと、本題に入ります。
「実は、恭太郎に官費留学の話を持って行ったのだが…」
すると仁が「それすごいですね…」と言います。
勝は「先生もそう思うだろう…だけどよう、アイツがはっきりしねいんだよ…まだ龍馬の事を気にしているようなんだ…考えさせてくれと…何を考えているんだか…
それでよう、先生から進めてくれねいか…」と言います。
仁は、「明日、朝一番で、恭太郎さんのところへ行ってみます…」と言います。
咲は、仁の容体を心配して「私がまいります…」と言います。
祐輔も「私が付いてまいります…」と言います。

橘の家では、恭太郎と栄が夕食を食べていました。
恭太郎は、栄との別れのひと時を笑顔で過ごそうとしていました。栄も恭太郎の笑顔を見て、楽しげに振舞っていました。
恭太郎が栄に「そろそろ咲に、敷居をまたぐ事を赦してはいかがですか…」と言います。これは、自分がいつ死んでもいいようにとの家長としての願いでもありました。
栄は「私は一度も、戻ってはならぬとは言っておりませぬ…」と言います。
恭太郎は「しかし、咲の立場では、戻りづらいのでは…」と言います。
栄は「考えて置きます…」とだけ言います。
恭太郎は「お願いします…」と言います。

食事が終わると恭太郎は、自室にこもり二度目の遺書を書いていました。そして翌朝、まだ日が明けぬうちに栄の部屋へ行き、障子をあけて栄の寝顔を見て、心の中で「行ってまいります…」と別れの言葉を告げます。
恭太郎は静かに障子を閉めると、上野の山に出向きます。

仁たちは、早朝に仁友堂を出て、橘の家に向かっていました。
江戸の市中を歩いていると町民たちが「上野の山で戦だ…」と騒ぎ始めていました。仁たちもおどろきます。そして、恭太郎の事を心配します。
祐輔が「急ぎましょう…」と言いますが、杖を片手にやっと歩いている仁は、これ以上速く歩く事は、難しい事でした。
やっとの思いで橘の家の前まで来ると、そこに栄が立っていました。
仁は「何かあったのですか、栄さん…」と声を掛けます。
栄は仁に「恭太郎が上野の山に参ったようでございます…」と言うと、恭太郎が書いた遺書を見せます。そこには
「私はゆえあって、人を死なせてしまいました…将来ある人の命を奪っておきながら、のうのうと、自分だけが前を向いて生き続ける訳には参りませぬ…徳川の家臣として忠節を尽くしたいと思います…」と、書かれていました。
この遺書を読んだ咲は、上野に行こうとしますが、栄はそれを赦しません。
「行ってはなりません、咲…恭太郎は、悩みぬいて決めたのです…お前にも分かるでしょう…徳川様と共にという気持ちは…」と言います。
すると咲は、栄に「兄上は、生きねばなりません…尊いお方を死に追いやったからこそ、傷つこと、泥にまみれようとも、這いつくばっても生きねばなりませぬ…」と言います。
栄は咲にすがりついて「行かないでおくれ、咲。後生です…行かないでおくれ、お前まで…私を一人にしないでおくれ…」と言います。
咲は、「母上。咲は、兄上と戻って参ります。その時はどうか、門をくぐらせて下さいまし…」と言って、上野に向かいます。
仁は「咲さん…」と、声を掛けます。
祐輔は仁に「私が一緒に…」と言って、咲を追いかけます。
仁は祐輔に「お願いします…」と言いました。仁にはもう、咲と一緒に恭太郎を探しに行くだけの体力は残っていませんでした。
仁は心配そうに「栄さん…」と声を掛けます。
栄は仁に「恥をさらしても、生きる事が出来るのでしょうか…これからは、そのような世が来るのでしょうか…私たちが信じて来た道は間違いだったのでしょうか…」と言います。母親としての複雑な思いからでした。

仁は、橘の家から必死の思いで、仁友堂に帰って来ます。そして、仁友堂の玄関口に倒れ込みます。
「先生、大丈夫ですか…」福田玄孝が駆け寄って来て、仁を抱きかかえます。
仁は、息を切らせながら「上野で戦が…医学所に連絡を…野戦の救護所の支度をします…」と指図をします。

咲は上野で、必死になって恭太郎を探していました。
「兄上…」
祐輔は「これ以上は、無理です…」と言います。咲の無謀な行動を懸命に抑えていました。その時です。咲は、恭太郎の姿を見つけます。
咲は「兄上…」と叫びながら、走って恭太郎の元へ近付こうとしますが、流れ弾が咲の腕に当たります。
恭太郎も咲に気づき、「咲…」と叫びながら近寄ります。
祐輔は咲を抱き起して「咲さん、大丈夫ですか…」と言います。
咲は「流れ弾が当たったようです…」と言います。
恭太郎は心配して「咲…」と名前を呼びます。
咲は恭太郎に「兄上、咲は甘えてばかりでございました。己の事ばかり考えて…兄上のお気持ちを思いやることもぜずに…これからは御恩返しをしとうございます…ですから、どうかお戻り願いませんか…」と言います。
恭太郎は「私は、坂本殿をあのような形で死に追いやった…私には生きる値打ちが無い…」と言って、咲の言葉を聞き入れようとしません。
その時、祐輔が「死ぬんやったら、南方先生に断ってからでしょうが…助けてもらた命を捨ててええんですか…違いますか…」と叫びます。恭太郎は、返事のしようがありませんでした。
祐輔は、咲の応急処置をします。そして、恭太郎が咲をおぶって、その場から逃げて行きます。しばらくすると三人は、仁友堂の医者と会います。
祐輔が「なぜここにいるのだ…」と聞くと、医者は「南方先生が、野戦の救護所を開かれています…」と言います。三人は、南方の元へ行って、咲の治療をする事に決めます。

救護所では、仁の指揮によって、救護活動が行われていました。そこに、勝が遣って来ます。
勝は仁に「先生、困るんだがな…」と言います。勝には、新政府への気兼ねから、医学所という幕府の組織を使ってほしくなかったのです。彰義隊の暴発を徳川が認めた事になると思ったからです。
仁は勝に「私たちは、医者ですから…医者がけが人を治すのは、当たり前の事です…官軍兵のけがも治しますよ…」と言います。しかし、勝は引き下がろうとはしませんでした。勝はこの時、徳川方の陸軍総裁(事実上の大老職)であり、この戦を穏便に終結させなければならなかったからです。
そこへ、多紀元琰が医学館の面々を引き連れて遣って来ます。
元琰は「医者は医の道を歩くのみ…治まらぬものを治めるのが、政の道であろう…」と言います。
仁は「多紀先生…」と言います。そして、元琰の言葉の重みに感激します。
元琰は「南方殿、我らは鉄砲傷は縫えぬが…役に立てぬ訳でもなかろう…」と言います。そして、医学館出身の福田玄孝を呼び付けます。
「玄孝…玄孝はおらぬか…我らを指図せい…」と言いながら、救護所の奥へ入って行きます。
勝は、このやり取りに呆れてしまいます。そして「好きにやれ…」と言います。しかし、その顔には笑みがありました。
この時代、まだ日本には、赤十字という考え方はありませんでした。当然味方の負傷兵を治療する事はあっても、敵の負傷兵を治療することなど考えられない事でした。この考え方が日本で初めて実践されたのは、十年余り後の西南戦争の時で、その時の博愛社が現在の日本赤十字社の元になったものだと言われています。こう考えてみると、仁の歴史への挑戦は、ここでも行われていたと言えます。

救護所に、祐輔が駆け込んで来ます。そして仁に「大変です、咲さんが流れ弾に…」と言います。
そして、恭太郎が咲を背負って遣って来ます。「先生、咲をお願いします…」
仁たちは、咲をあいている所に寝かせて、診察をします。
恭太郎が「先生、咲は大丈夫でしょうか…」と尋ねます。
咲は恭太郎に「大丈夫でございます。死に至るような傷ではございませぬ…作用でございますよね、先生…」と言います。
仁は「大丈夫ですよ咲さん…私が治しますから…」と言います。しかし、仁の手は動きません。
咲は、救護所を見回していました。みんな忙しく立ち回っていました。
祐輔は、手早く咲の手術の準備をしています。そして、咲の傷口の洗浄をしようとするのですが、咲は「自分でやります…皆さん忙しくされておりますのに…せめて、足手まといにだけはなりたくありませぬ…」と言います。
祐輔は咲に「無理せんといて下さい…せめて怪我している時ぐらいは…」と言います。
咲は仁の様子がおかしい事に気が付きます。そして仁に「先生、大丈夫ですか…」と言います。祐輔も心配そうに仁を見つめていました。
仁は、目をつぶって、集中しようとしています。そして手術に取り掛かろうとしますが、メスを取ろうとしても手や指がゆうことを聞きません。仁はしばらく考えて決意します。
「佐分利先生お願いします…咲さん、すいません…」と言います。
咲は仁に「私は大丈夫でございますから…他の人の所へ…」と言います。
仁は、そこに居た溜まれず、その部屋を逃げるようにして出て行きます。
祐輔は、咲の手術を始めます。「ほな摘出しますから…痛みますか…」と咲に聞きます。咲は「先生の心を思えば、これしきの事…」と言います。咲には、愛する仁の心の内が良く分かっていました。
仁は部屋の外で、自分の手を見つめて「これぐらいの手術が出来ないとは…」と悩み苦しんでいました。
その時、仁にいつもの発作が起きます。仁が痛みを堪えていると、幻聴が聞こえて来ます。
「口八丁て八丁ぜよ、先生!手が動かぬならば、口を動かせばいいぜよ…」と
仁は「龍馬さんの声が聞こえる…」と言います。そして仁は、落ち着きを取り戻します。
病室の方から、驚きとも悲鳴をも取れる声が聞こえて来ます。
「え~…南方先生…」と仁を呼ぶ声でした。
仁は病室へ向かいます。
負傷兵が「討てえ…」と、とどめを刺すことを求めています。
仁は、治療をしていた医者に「服を裂いて、傷口を確認してください…弾が貫通しているかどうか確かめて下さい…」と矢継ぎ早に指示をします。どうやら仁は、龍馬の声の意味が分かったようです。

手術を終えた咲は、救護所の様子を見て喜んでいました。
恭太郎が咲に「どうしたのか…」と聞きます。
咲は「夢を見ているようです…蘭方の医師と本草の医師が手を携えて治療をしております。こんな日が来るとは…」と答えます。
仁友堂の立ち上げの理念が、ここに結実していました。

仁は、恭太郎と話をしていました。
恭太郎は仁に「実は、二度も遺書を書きました。こんな格好のつかない男もおりますまい…」と言います。
仁は恭太郎に「恭太郎さん、初めて会った時に恭太郎さんは、私に何て言ったか覚えていますか…恭太郎さんはあの時、橘家を守るために死ぬわけにいかないと、私にそう言ったんですよ…恭太郎さんが命がけで守って来た物は、徳川家じゃない、橘の家なんじゃないですか…」と言って、諭します。
恭太郎は、救護所の下働きをしていました。そして、救護所に綺麗な水を手桶で運んでいました。そこへ、負傷して治療を受けていた仲間が現われます。
「橘…徳川の死に様を見せてやろう…オレと一緒に戦に戻ろう…」と言います。
恭太郎はうつむいて少し考えます。そして「私の誇りは、徳川の為に死ぬことではございませぬ…ここで水運びをしとうございます…」と言います。恭太郎は、彰義隊と決別を宣言しました。
仲間は、刀の柄で当て身をして恭太郎を倒します。そして「この腰抜けが…」と捨て台詞を残して、一人で戦に戻ります。
その様子を見ていた仁は、恭太郎に「大丈夫ですか、恭太郎さん…」と声を掛けます。
恭太郎は仁に「腰抜けでございます…」と言います。
仁は考えます「命知らずの男たちは、拾った命を捨てに行った…冷静に見れば、オレ達が遣っている事は意味が無い…しかし、ここにいる医者たちは、誰もやめようとは言わなかった…それが、オレ達の誇りだった…
そして戦は、たった一日で終わった…官軍による残党狩りが始まった…」

咲は、自分の傷を診て、緑色の膿のようなものを見て少し不安に思っていました。しかし、仁をはじめとする医師たちが、献身的な治療活動をしているので、なかなか言い出せませんでした。
咲の所へ仁が来て「咲さん、直りはどうですか。傷を見せて下さい…」と言います。
咲は仁に「順調です…ペニシリンも効いておりますようで…先生はお忙しいので、自分の事は自分でいたします…」と言います。そして、「ちょっとお伺いしたい事があるのですが…」と言います。その時、別の患者の件で、医者が仁を呼びに来ます。
咲は「先生、どうぞ行って下さいまし。大したことではございませぬので…」と言います。
仁は「じゃあ後で、また来ます…」と言って、患者のいる別の病室へ行きます。
咲は「膿さえ出つくせば…治って来ている証でございますね…」と独り言を言います。

 咲は、みんなが忙しく働いているのを見て、じっと寝ている事に我慢が出来なくなり、治療の現場に戻っていました。
仁は、咲の様子を見て、少し不安を感じていました。
「咲さん、少し休んで下さい…」
咲は仁に「出来る事は、させて下さいまし…」と言います。
仁は「でも、熱でもあるんじゃないですか…」と言います。
その時、仁に発作が起きます。仁は、激しい頭痛と吐き気をもよおして、縁側へ出て行きます。
「先生…」龍馬の声が聞こえます。
「龍馬さん…」
「ここじゃ、先生…頭の中じゃ…わしが話すと痛むのかい…ほいたら…」と
仁の様子を見ていた佐分利祐輔が、心配そうに「幻聴ですか…ほんまにどうにもならんのですか…」と言います。
仁は「どうにかなるなら、佐分利先生に手術をしてもらいます…」と言います。
祐輔は「私はどうしてこんなにヤブ何でしょうか…一番助けたい人に…結局、何もでけへん…死なんといて下さい…先生!」と言います。
仁は優しい眼差しで祐輔を見ます。そして「佐分利先生は、凄い医者になれますよ…私がヤブだと気付いたのは、たった六年前です…それに比べたら、佐分利先生はびっくりするほど早いです…佐分利先生は大丈夫です…」と言います。

部屋の中から何か声がするので、仁は部屋の中に入ると咲が倒れていました。
仁は咲に声を掛けます。「咲さん大丈夫ですか…咲さん」と
仁が、咲の包帯をといて傷を見てみると、緑色の膿が広がり、腫れていました。緑膿菌感染症でした。
山田純庵が「ペニシリンの量を増やしましょうか…」と仁に聞きます。
仁は「これは…緑膿菌感染症です。ペニシリンは効きません…残念ながら私の力ではどうする事も出来ません…ただ、自然回復が望めない訳ではありません…咲さんの免疫力を高めましょう…」と言います。そして、本草出身の福田玄孝に「福田先生お願いします…」と言います。玄孝が薬の調合をする事になりました。

仁が、咲の部屋に来ていました。
山田純庵が「咲殿は、忙しいので迷惑を掛けまいとされたのでしょう…」と言います。
咲は「すみませぬ…私が言えば良かったのですが…」と言います。
仁が手ぬぐいを絞ろうとすると、それを見た咲が「私が遣ります…」と言って、手ぬぐいを取ろうとします。
仁は「咲さん、それがだめなんですよ。ちゃんと休まなければ…免疫力が落ちて、菌に負けちゃいますよ…」と言います。
仁に諭された咲は「菌ごときに負けては、母に叱られますね…」と言うと、咲は眠りに着きます。
咲の様態は好転せず、このままでは敗血症によるショック死の可能性も出て来ました。

山田純庵は、橘の家に来ていました。
「本来ならば、南方先生がお伺いしなければいけないのでしょうが…先生もお体の方が悪いので、私が来ました…」と、そして…
純庵は栄に「咲殿の容態が芳しくありませぬ…つきましては、一度お母上に、咲殿の見舞いに来てはいただけませぬか…」と言います。
すると栄は「私は行きませぬ…」と言います。
恭太郎と純庵が説得するのですが、栄は聞き入れようとはしません。そして、
「あの子にお伝え下さいませ…約束通り、己の足で戻って来なさいと…」言います。
恭太郎は栄に「咲の怪我は、私のせいでございます。何とぞ咲を見舞って下さいませんか…」と言って説得するのですが、栄の考えは変わりません。
「私が参れば、咲は己が死ぬやもしれぬと悟りましょう…咲の生きる気力を奪うやもしれぬではありませんか…恭太郎、あなたが一人で行って来なさい…」と言います。栄の目には涙が溢れていました。母の想いは心と体は別物である事を訴えていました。
栄は純庵に「南方先生に、お伝え願いませんでしょうか…咲を宜しくと…」と言います。そして、栄は純庵に深々と頭を下げます。

仁は咲の脈を取っていました。咲の目からは、涙がこぼれていました。
仁が「咲さん…」と声を掛けると、咲が気づきます。
咲は仁に「夢を見ておりました…」と言います。
仁が咲に「夢を…」と聞くと
咲は「ふと目が覚めると、先生が何処にもおられず…仁友堂を探しても何処にもおられませんでした…未来にお戻りになられたのだと思って…良かったと思ったところ…目が覚めると、先生のお顔が見えて…」と言います。
仁は咲に「良かった…」と聞きます。咲の言葉の意味が分かりませんでした。
咲は仁に「お戻りになれば、先生のガンは治せるではありませんか…」と言います。咲の複雑な想いは、仁を愛しているがゆえの思いでした。
咲は床から体を起こして仁に言います。
「おとなしくしておりますので、他の方の治療に行って下さいまし…」と
仁はたまらなくなり、咲を抱きしめます。初めての抱擁でした。
「先生…」咲もそれに応えるかのように体を仁に委ねます。
仁は「咲さんの寝顔を見ていたら、彰義隊の人たちの事を思い出したんです…あの人たちは、ただ切羽詰っていただけではなくて、意外と明るい気持ちがあったのかなって…もし、掛け替えのないものが無くなってしまうのなら、一緒に無くなるのが一番幸せだって…そんな風にも思っていたのかなと…」と心の内を打ち明けます。
咲は、仁の言った『掛け替えのない物が…』自分である事に気付くのに、時間は掛かりませんでした。咲の目からは、涙がこぼれていました。しかし咲は、心とは裏腹に…
「医者がそのような事を言って、どうするのですか…」と言います。そして、自らも仁を強く抱きしめます。
その時、部屋の外から音が聞こえます。ガラス瓶が落ちたような音が…仁はその音を聞いて、ふと現代の事を思い出します。
「あの時…あの時…足元に落ちていた薬の瓶を拾ったような…この時代に来る前に拾った薬の瓶は、あの包帯の男が非常階段でおとした物では…あれは確かホスミシン…白衣のポケットに入れたはず…だとすれば、まだホスミシンがどこかにあるかもしれない…緑膿菌に聞くはずだ…」
仁は咲に「もしかしたら、どこかに咲さんに効く薬があるかもしれない…咲さんちょっと待ってて下さい…直ぐ、直ぐ戻って来ますから…絶対に治しますから…では行ってきますね…」と言うと、立ち上がり部屋を出て行きます。

仁は、医者仲間が集まっている部屋へ行きます。そこには恭太郎もいました。
「皆さん聞いて下さい…ひょっとしたら、咲さんを治せる薬があるかもしれません…六年前なので効くかどうか分かりませんが…」
仁がここまで言うと山田純庵が「そのような事はどうでもいいです…何という薬ですか…」と聞きます。
仁は「ホスミシンという薬です。この位の小さな瓶に入っています…私のいたところで、どこかに紛れているかもしれません…」と言います。
こうして、仁友堂のみんなと恭太郎は手分けをして探し始めました。仁友堂の薬を置いている部屋や庭先の溝、あらゆる所を…

恭太郎は橘の家に戻ります。
「母上、咲を治す薬が、我が家にあるかもしれませぬ…小さな瓶に入った薬だそうです…」
「探すのです、恭太郎…その小さな瓶を…」
二人は、仁が以前住んでいた部屋を中心に、家中いたるところを探します。しかし、ホスミシンは出て来ませんでした。

夜になると仁と恭太郎は、二人が初めて出会った場所に行ってみました。
仁が恭太郎に「ここは、初めて会ったあたりですね…あの時に、落としたのかもしれません…」と聞きます。恭太郎が切り合いをして怪我をした場所でした。
恭太郎は「あの時に戻り、自分に言ってやりたいです…何があっても上野には行くなと…」と言います。恭太郎は後悔していました。
仁は「私も戻りたいです…」と言います。その時、仁にまた発作が起きます。そして、幻聴が聞こえます。
「戻るぜよ、先生…」
龍馬の声でした。仁は龍馬を探して、夜空を見上げます。
「咲さんを助けたかったら、戻るぜよ…先生の頭の中におる奴が言うとるんじゃ…」
仁は、「頭の中の胎児が…」と思います。
「先生は何処から来たんぜよ…」
仁は、あの患者が運ばれて来た場所を思い出します。
仁は恭太郎に「そうだ、入口と出口が違うんだ…恭太郎さん、錦糸町はどっちですか…」と聞きます。
恭太郎は仁に「錦糸堀ならあっちです…」と言います。
仁は、恭太郎の肩を借りて、必死で錦糸町へ向かいます。
仁に「この先じゃ、先生…」と、龍馬の声が聞こえます。
その時、官軍の残党狩りが現われます。
「何をしている…」と声を掛けられます。
恭太郎は仁に「先生、官軍の残党狩りです。逃げましょう…」と言います。しかし仁は、恭太郎の言う事を聞きませんでした。ただ、前へ前へと進むだけでした。
官軍の残党狩りは、仁に斬りかかります。仁は、頭部に浅手の傷を負います。それを見ていた恭太郎は、刀を抜いて応戦します。そして仁に「先生、お逃げ下さい…」と叫びます。仁は、錦糸町を探して、一人で前へ前へと進みます。
仁の脳裏には、過去の映像が走馬灯のように蘇って来ます。
「わちきは、幸せな女でありんす…」野風のガンの手術が成功して、別れる時の映像が「咲さん…」仁と咲の映像が
「どうか、あの二人にもお幸せを…」野風が、仁と咲の二人の為に祈る映像が
「待ってて下さいよ…絶対に治しますから…」咲との別れの映像が
「お二人の行く末を遂げさせてくんなまし…」野風の姿が

「ここぜよ、先生…」龍馬の声がします。
目の前には地面が無く、崖になっていました。
「戻るぜよ先生…戻るぜよあん世界へ…」龍馬の声が、仁の脳裏を支配します。仁は腹這いになって崖の下を見ます。仁は龍馬の声に導かれるままに、崖から落ちて行きます。
「ワー…」と、叫び声が周辺に響き渡ります。
手傷を負った恭太郎は、仁の叫び声に気付きます。恭太郎が崖まで来ると、そこには誰もいませんでした。恭太郎は仁を探しますが見つかりません。しかし恭太郎は、そこで小さな瓶を見つけます。

夜なのに、灯りが煌々と輝いていました。錦糸公園の草むらに、一人の男が倒れていました。その男は南方仁でした。仁が現代に戻って来たのです。
仁は救急車で、元いた自分の病院に搬送されます。そして、手術をするのは脳外科医の南方仁でした。仁が仁を手術していました。
手術中麻酔の中で、仁は龍馬と海辺で話をしていました。
龍馬は突然立ち上がり、仁に「ほしたらのう、先生。わしゃあ行くでよう…」と言うと、海の中へ歩いて行きます。
仁は驚き、龍馬に「龍馬さん、何処へ行くのですか…海ですよ…」と言います。
龍馬は、振り向くと仁に「先生は、いつかわしらの事を忘れるぜよ…けんど、悲しまんでもええ…わしらはずうっと、先生と共におるぜよ…見えんでも、聞こえんでも、おるぜよ…いつの日も先生と共に…」と言います。
仁は「龍馬さん!」と呼びます。
龍馬は、右手を仁に向けて、拳銃を討つ真似をします。仁は何がどうなっているのか分かりませんが、胸を腕で押えます。龍馬は、笑って海の中へ歩いて行きます。
仁は「龍馬さん、何処に行くんですか…龍馬さん…何かあったら直ぐに連絡下さい…」と叫びます。

手術は無事に成功していました。頭蓋内の胎児性腫瘍も摘出されていました。

仁は、ベットで目を覚まします。仁は、咲の為の薬を探さねばと思います。そして、酸素マスクを外し、ベットから起きて立ち上がります。
仁には、ホスミシンの在処は分かっていました。自分の勤めていた病院だから…
仁は、ホスミシンを手に入れます。そして「あの時と同じが好いか…」と思い、救急バックも持ち出します。そして、摘出された胎児を探していると、何か物音がするのに気付きます。仁は、物陰に隠れます。
そこに現われたのは、もう一人の南方仁でした。彼は、珍しい胎児の標本を眺めていました。そこへ、人が遣って来ます。
「先生、れいの患者が、病室からいなくなりました…」
知らせを聞いた、もう一人の仁は、患者の仁を探しに部屋を出て行きます。
包帯を巻かれた仁は「1868年の5月20日に戻してくれよ…」と思います。そして、胎児性腫瘍の標本を手にすると、非常階段へと向かいます。
ホスミシンの瓶が階段に転げ落ちます。
仁が踊り場で休んでいると、もう一人の仁が遣って来ます。仁は急いで階段を上ります。
仁は思います。「これでオレは戻れるのか…それとも同じ事を繰り返すのか…今度は絶対にオレが戻らなければ…」
仁が胎児性腫瘍の標本を持っている事に、もう一人の仁が気づいて驚きます。そして突然、頭痛で苦しみ始めます。
もう一人の仁は「どうしてこれを持っているのですか…」と言います。
仁は「戻るぜよ…戻るぜよ…あん世界へ…お前は俺だ…」と言います。
もう一人の仁は「ちょっと待ちなさい…待て…」と叫びます。そして仁の持っている救急バックに手を掛けます。その時の拍子で、胎児性腫瘍の標本が入っている瓶が宙に飛び、落ちて行きます。
もう一人の仁は、その瓶を取ろうとしてバランスを崩し、階段から転げ落ちて行きます。そして、仁が気づいた時には、階段の下の踊り場には誰もいませんでした。あの時と同じ事が起きていました。ただ、残ったのは仁で、幕末の江戸に行ったのは、もう一人の仁でした。
仁は「咲さん…すいません…」と言います。仁の目からは涙が流れていました。そこで仁は意識を失います。

仁は病室で寝ていました。看護師がカーテンを開けます。病室に太陽の光が入ると目を覚まします。
仲間の杉田医師が「オイ、目覚めたか…お前さあ、何で錦糸町の公園で、頭を割ってぶっ倒れてたんだ…親父狩りにでも会ったのか…しかも、調べたら脳腫瘍もあってさあ…」と言います。
仁は、杉田の話の内容について行けませんでした。仁は少し考えて、杉田に尋ねてみました。
「あのさあ、オレは着物を来ていたか…」
すると看護師が「普通の洋服でしたよ…」と言います。
仁は杉田に「あれから取った脳腫瘍は、胎児性腫瘍だったのか…」と聞きます。
杉田は「普通の良性の脳腫瘍だったよ…」と答えます。
仁は杉田に「執刀は誰がしたのか…」と聞きます。
杉田は「オレだよ…貸しだからな…」と言います。
仁はただ「ありがとう…」と言うだけでした。
仁は考えます「オレを手術したのは、オレだったはずだが…」と「何かが違う…何かが…これが歴史の修正力なのか…」と

仁は、友永未来の病室に行ってみます。病室には別の患者の名札が掛かっていました。
仁は「ここにいるはずの未来も、どうやらいないようだ…かっての世界とは少し違うようだ…」と思います。
仁は、非常階段へ行って考え込みます。
「オレが関わった歴史は、全て修正されていたのか…この世界は、オレが元いた世界とは違う世界なのか…」
仁がふと下の踊り場を見ると、研修医の野口が、休憩にたばこを吸いに来ていました。仁は野口に「おい、野口…」と声を掛けます。
野口は驚いてたばこを隠します。そして「南方先生…良かったですね…」と言います。
仁は野口に「あのさ…オレ…入院している間に小説を書こうかと思って…」と言います。
野口は「え~…」と驚きます。
仁は「まあ聞けよ…現代の医者が、幕末の江戸にタイムスリップする話なんだけど…」と野口に説明を始めます。
野口は「医者が自分に手術…この人が二人になってしまう…」と不思議がります。
仁は野口に「一緒に考えてくれるか…」と聞きます。野口は「え~」と驚きます。野口にとっては、少し迷惑な話でもありました。
二人は別の場所に移って、話し合う事にします。

仁は、カウンセリング室で、野口の説明を受けていました。
野口は、黒板を使い説明をしています。
野口は、「ABCと幾層にも重なっているパラレルワールドにタイムスリップして、元の世界とは連続していない時代へ行ってしまう話はどうですか…」と言います。
仁が「頭の中の胎児性腫瘍はどう思う…」と聞くと
野口は「胎児性腫瘍は、元々は双子でも、体内で一方に吸収される事があります。それを何十年も頭蓋内に抱えたまま医師は生活をしていました。そして、それが癌化したと考えればどうでしょう…」と答えます。
仁は「坂本龍馬の声は…」と聞きます。
野口は、ムッとした表情で「ちょっとは自分で考えて下さい…先生。」と言います。
仁は「自分では考えているんだけど…君の意見が聞きたいんだ…」と言います。
野口は続けます。「たまに心臓移植を受けた患者が、ドナーの嗜好が移ったと言う話を聞きますよね…つまり、血かなんかを浴びて、坂本龍馬・胎児・医師が同化したと言うのはどうですか…」と言います。
仁は思わず「浴びた…」と独り言を言います。野口はその様子を見て不思議に思います。
仁には思い当たる事がありました。龍馬が東に斬られた時に、目に浴びた龍馬の血…龍馬の手術をしている時に、目に浴びた血…その時、龍馬を取りこんだのかと思いました。
仁は野口に聞きます「その医者は、結局歴史を変えたのか…」と
野口は「あ~」と聞き返します。そしてだんだん語気が強くなって行きます。
「A層にいた医者は、A層ではなくB層にタイムスリップしたとすれば、繋がりが絶たれます。」
仁は「パラレルワールドだとすると、オレは結局この世界では、何もしなかった事になるのか…」と、独り言を言います。
野口は、仁の言葉を不思議に思い「オレ…」と、聞き返します。
仁は慌てて「いや何でもない…」と言います。

仁は、病院の屋上で、東京の景色を見ていました。そして、龍馬に話しかけるように、独り言を言います。
「龍馬さん…そういう事だったんですね…見て下さいよ。これが未来の江戸ですよ…吉原は確かあっちの方ですよ…もう無いですけどね…」
仁は、失われたものを思いながら、どうしようもない虚無感に浸っていました。それでも仁には、どうしても確かめなければならない事がありました。

仁は、一人で物思いに浸る日々が続きます。
「ずっと避けていたけれど、もう限界だった…咲さんがどうなったのか…オレが生きて来た日々がどうだったのか…」
仁は我慢できなくなって、ついに行動を起こします。まずは手始めに、図書室でペニシリンについて調べる事にしました。
「ペニシリンは、フレミングによって1928年に発見されたと本に書かれていました。しかし、日本では、すでに土着的に発見されていた…」と
仁は、日本の医学史について調べます。
「ペニシリンを土着的な方法で開発し、それを通じて、古来の本草学と江戸時代に入って来た、西洋医学を融合させた、日本独自の和洋折衷の医療を作り上げた。
 当時、医学界の反逆者とみなされた彼らの医療結社の名前は…仁友堂という…」
「あった…ちゃんと仁友堂は残っていたんだ…」
次のページには仁友堂の主要メンバーが、写真付きで紹介されていました。
「佐分利先生…山田先生…福田先生…みんな立派な医者に…良かった…オレの遣った事は無駄では無かったんだ…」
「だけど、いくら調べても、そこに無い事が二つあった…オレの名前と橘咲の名前が無い…」
仁は、橘の家があった場所に行ってみる事にしました。
「確かこの辺だったと…この辺って変わっていないような…」
そして仁は、橘の表札の掛かった家を見つけます。そこには橘医院の看板も掛けてありました。
「会った…」
仁は、橘医院の前まで行くと、中を覗き込みます。すると、後ろから誰かが遣って来ます。仁は、振り向いて顔を見ると、野風や未来にそっくりの女性でした。
女性は「うちに何か御用ですか…」と、仁に聞きます。
仁は、驚きながらも「あのう、こちらの御先祖に橘咲さんという方がいたと思うんですけど…」と尋ねます。
女性は「いましたけど…」と答えます。
仁は意を決して「少しお伺いしたい事があるのですが…お時間は取らせませんから…」と言います。
女性は、快く「はい…」と言うと、家の中へ案内します。

仁は女性に「あのう…お医者さんですか…」と尋ねます。
女性は「そのつもりで医学部には入ったのですが…今は医学史の方を遣っています。」と言います。そして「なぜ、うちに来られたのですか…」と言います。
仁は「こちらの御先祖について、少し調べている物ですから…」と言います。そして「咲さん…生きてたんですか…」と言います。
仁は、女性の説明を聞きます。
「明治維新の後に、橘咲がこの医院を開いたそうです。咲は主に、産科と小児科を診療していたようですが、明治初期の女医なんて、所詮は産婆さんみたいに見られていたようです…」
女性は仁に、古い写真を手渡します。
「そこに写っているのが橘咲です。彼女は、長生きしたみたいです…一度、生死を彷徨ったようですが、奇跡的に助かったようです…」と言います。
仁は「と言うと…」さらに聞き出そうとします。
女性は「兄の恭太郎が、林の中でガラス瓶に入った薬を拾ったそうです。それを一か八かで咲に使ったら治ったそうです…何か、日本昔話みたいですよね…」と言います。
仁は女性に「その薬は、何という薬なんですか…」と聞きます。
女性は「恭太郎の回顧録には、薬を拾っただけとしか書いてありませんでした…」と言います。
仁は、次々に資料を見せてもらいます。
「深く関わった人は…仁友堂の佐分利祐輔・山田良順・福田玄庵…オレの写真は無かった…ホスミシンだけが…届いたようだ…」
女性は「これは、坂本龍馬の写真です…」と言います。
仁は龍馬の写真を見ますが、その写真には、仁の姿が写っていませんでした。
女性は「恭太郎は坂本龍馬とも縁があったようなんです…恭太郎は龍馬の船中九策の皆が等しく適切な医療を受け入れられる保険なる制度を作る事という所に感銘を受けて、その実現に走り回ったようです…」と言います。
仁は思わず「恭太郎さんが…」と口走ります。そしてすぐに「いや、そうなんですか…」と、取り繕います。
女性は「現在、日本が国民医療費の負担が世界で最も低いのは、そのおかげかと思われます。」と言います。
仁は、心の中で「恭太郎さんに…龍馬さんの精神が受け継がれたんですね…」と思います。
仁が、龍馬の写真を見ていると、女性は「それ、ほんとは隣に誰かいたみたいじゃないですか…」と言います。
仁は、本当は自分が隣にいたんですとも言えず、「確かに、言われてみればそうですね。」としか言えませんでした。
次の写真には、栄・恭太郎・咲、そして咲の膝の上には女の子が写っていました。
女性が「その子は、咲の娘です。でも幼女ですよ。友人が亡くなる時に、友人に託されたようで…それで子供を引き取って育てたようです…確か裏に名前が書いてあると思います…」と言います。
そこには、栄・恭太郎・咲と共に安寿と書かれていました。
仁は「野風さんの娘を咲さんが育てたのか…あの時、この子を諦めていたら、この未来には辿り着けなかった…これは咲さんが起こした奇跡だ…」と思います。
女性は「咲は、ずっと一人だったようですよ…」と言います。
仁は「そうですか…」と言います。
仁は思います。「ただの歴史か…オレは何の言葉も見つけられなかった…そうですか…そうなんですか…と、ただ、相槌を打つ事しかできなかった…」と

仁は橘の家を去ろうとしていました。
玄関の門の前で仁は「いろいろありがとうございました…」と女性にお礼を言いました。
女性は突然「あのう、揚げだし豆腐は好きですか…」と仁に聞きます。
仁は「はい…」と答えます。仁は、何故揚げだし豆腐の事を聞かれるか、その意味が分かりませんでした。
女性は「ずっとあなたを待っていた気がします…」と言うと、古い封筒を差し出します。そして「私が医学史に進んだ原点何です…」と言います。
仁は女性に「お名前を教えて頂けませんか…」と言います。
女性は「橘未来です」と言います。
仁は「未来さん…」と言います。
野風の娘、安寿が咲の養女となり、その子孫が橘未来として、仁の前に現れたのです。この不思議な縁を仁は噛み締めていました。

仁は公園のベンチに座っていました。そして、橘未来からもらった古い封筒を開けてみました。中からは、誰かへの手紙が入っていました。仁は、読み始めます。
〇〇先生へ

先生、お元気でいらっしゃいますでしょうか。おかしな書き出しである事を深くお詫び申し上げます。
実は、感染症から一命を取り留めた後、どうしても先生のお名前が思い出せず、他の先生方に確かめたところ、仁友堂にはそのような先生などおいでにならず、ここは、私たちが興した治療所だと言われました。
何かがおかしい、そう思いながらも、私も、そのように思うようになりました。
夢でも見ていたのであろうと…
でも、ある日の事、見た事も無い、奇妙な丸い銅の板を見つけたのでございます。(平成二十二年製の十円玉が、佐久間象山が持っていた袋(包帯を留める、医療用のゴムネットで作った袋)に入れられていた。)
その板を見ているうちに、私は、おぼろげに思いだしました。
ここには、先生と呼ばれたお方がいた事を…そのお方は、揚げ出し豆腐がお好きであった事…(仁は、牢から解き放された時の事を思い出します。咲が仁を迎えに来て、仁に会えた事でほっとして気が緩み、膝まづいた事、そしてその時に咲が「今宵は何に致しましょうか…」と尋ねると仁が「揚げだしを…」と言った映像を…)
涙もろいお方であった事…神のごとき手を持ち、なれど、決して神などではなく、迷い、傷つき、お心を砕かれた…ひたすらに、懸命に治療に当たられた…仁をお持ちのお人であった事を…
私は、そのお方に、この世で一番美しい夕日を頂きました事を思い出しました。
もう、名も、お顔も思いだせぬ、そのお方に、恋をしていました事を…
なれど、きっとこのままでは、私は、何時か全てを忘れてしまう…この涙の訳まで失ってしまう。
なぜか耳に残っている修正力という言葉…
私は、この思い出を、無きものとされてしまう気がしました。
ならばと、筆を取った次第でございます。
私が、この出来事にあらがう事が出来るとしたら、ただ一つ、この思いを書き遺す事にございます。
〇〇先生、改めてここに書き留めさせて頂きます。
橘咲は、先生をお慕い申しておりました。

橘咲

仁は、150年の時の流れを経て遣って来た手紙(咲からのラブレター)を読んで、涙を堪える事が出来ませんでした。そして
「私もですよ…咲さん…
私もですよ…咲さん…私もお慕い申しておりました…」と、咲の想いに応えます。仁の目からは、とめども無く涙がこぼれていました。
仁は「この想いを何時までも忘れまいと思った…でも、オレの記憶も、時の狭間に消えて行くのかもしれない…歴史の修正力と共に…」と、そして
「オレは忘れる事はない…この夕日の美しさを…当たり前のこの世界は、誰もが戦い、もがき苦しみ、命を落として勝ち取って来た…
無数の奇跡で編み上げられている事を…オレは忘れないだろう…
そして、更なる光を与えよう…今度はオレが、未来のために…この手で…」と

ある日の午後、救急車で、脳腫瘍の患者が仁の病院に搬送されて来ました。
仁がカルテを見ると、患者の名前は、橘未来と書かれていました。腫瘍は、脳幹の奥深くに食い込んでいて、摘出は困難と思われるものでした。
未来が患者として仁の前に現れたのです。
仁は「その患者、オレに執刀させてくれ…」と言います。今度こそ、未来を助けねば…未来の手術が、仁の執刀で始まります…




ここで、仁の完結編は終わりました。

とうとう仁の完結編最終章後篇が終わりました。今回は、最後の謎解きの部分が多かったように思います。その最重要な物が、いく層にも重なったパラレルワールドの解釈だったと思います。しかし、私には理解する事が出来ませんでした。仁が幕末に戻ろうとして失敗しますが、もう一人の仁は消えてしまいます。では、もう一人の仁は何処に行ったのでしょうか。また、幕末に戻り恭太郎と出会い、同じ事を繰り返して現代に戻って来るのでしょうか。それとも、私が子供の時に見た、アメリカのテレビドラマのタイムトンネルのように、別の時代の別の世界にタイムスリップするのでしょうか…理解に苦しみました。
ただ、私にとって、そのような事はどうでもいいように思いました。どうせSFドラマ、テクニカルな部分は実現性の無い物です。タイムトンネルにしても宇宙戦艦ヤマトにしても、現実には無い物のオンパレードだからです。多少の矛盾は、それが前提と思えば理解できるからです。
しかし、何度も言うようですが、船中九策だけはいただけません。これは歴史の事実と言うよりも、坂本龍馬の最大の功績、大政奉還とそれ以後の新政府の形態を理論づけた論文ですから、それを歪曲すべきでは無かったと思います。保険なる物を坂本龍馬の意志と捉え、恭太郎に引き継がせたかったのでしょうが、歴史の根本的な部分を変えるべきでは無かったと思います。

それよりも、このドラマで必然的な物は何かを考えた方が好いと思います。
現代でも優秀な医者が、自分の婚約者の手術をして失敗し、生きる力を失いかけていた。そして、その医者が、幕末にタイムスリップして何を得たかという事です。
技術は素晴らしいが、壁にぶち当たるとぽっきり折れる現代の医者が、緒方洪庵という医学史にも残る大学者の生きざまを学び、医の道は技術だけではなく心が大切であり、独りよがりではなく、仲間と積み上げて行くものだと学んだことだと思います。これは、多紀元琰の言葉「医者は医の道を歩くのみ…治まらぬものを治めるのが、政の道であろう…」にも繋がるのだと思います。
西洋医学は確かにすばらしいですが、本草学(東洋医学)にも西洋医学には無い良さがある。だから仁友堂が出来たのだと思います。そして仁は、野戦の治療所を作りますが、これはただの治療所ではなく、赤十字の先駆のような思想を持ったものでした。それを赦す、勝の度量の深さ…現代の日本の政治家には忘れられた物だと思います。
また、佐久間象山に言わしめた「それこそが神の意思じゃ…歴史を変える為につべこべ言わずに進め…もしオマエのやったことが意に済まぬことであったならば神は取り消す。神はそれほど甘くはない…進め、進むのじゃ…」この言葉は、考えても仕方がない事を考えるのではなく、天に恥じぬ行いであれば、とにかく進め…結果は神が決めてくれる。つまり、現代人の優柔不断を指摘しているのではないでしょうか。この言葉は、仁の心の支えに成ったと思います。

それから、江戸の人たちの心根の清らかさ、喜市のように貧しくても親を思う心や恩義を忘れず尽くす心、これは日本人がどこかに置き忘れた清貧の美学ではないでしょうか。
また、新門辰五郎のように、ちょっと厳ついけれど、この人のためならば、ひと肌でもふた肌でもぬいでやるという男気…江戸の母、栄の厳しさの裏に隠された優しさ…みんな、現代の日本人が忘れ去った物でした。それを描いてくれた仁に、私は感謝したいと思います。

最後に、仁と咲の最初で最後の抱擁は、良かったですね。愛し合っているのに愛し合えない二人…一緒にいたいのに、お互いの事を思うと一緒にはいられない二人…最後の別れとは知らずに離れる二人…心だけは確りと結び合っていた二人…150年後のラブレターを仁が読む姿に、ただ涙を流すだけでした。
そして、橘未来は、仁が現われる事を知っていたのでしょうね。平成二十二年の十円銅貨が、150年前の歴史資料の中から出て来たのですから…橘未来だけが、現代の仁の理解者だという事になりますね。手術は成功したのでしょうか…今度こそは成功したのではないかと思います。咲と野風の150年の想いが込められているのですから…

後記
最終回のブログへの投稿が遅れて申し訳ありませんでした。二時間の特別編で、いつもの倍有った事を理由にしてはいけないと思いますが、実力の無い私が、実力以上の物に挑戦してしまったのがいけなかったのかも知れません。
最初のころは、一話でA4紙5,6枚程度の原稿でしたが、段々エスカレートして、この最終回ではA4紙23枚の原稿になりました。多ければいいという物ではありませんが…とにかく一生懸命書きました。つたない文章にお付き合いして頂きましてありがとうございました。
さて、ここからは私の憶測なので、間違っていたら申し訳ありません。
私は、よくダッシュボードの統計を見ているのですが、ある時、気付いた事があります。それは、私が仁をブログに投稿する前後に、マレーシアとアメリカそしてドイツ等から、私のブログをペイジビューする方がいらっしゃるのに気付きました。特に、マレーシアとアメリカの方は、私がブログに投稿が遅れると、投稿するまで何回もペイジビューして頂いているようでした。本当に頭が下がりました。そして、申し訳なく思いました。
私は、私の実力の無さに、仁のブログを書くことを何度も諦めかけたのですが、これらの方々のページビューを見た時に、とにかく最後まで書かなくてはと思い、書き終わる事が出来ました。本当にありがとうございました。もしよければ、短いコメントでも頂けたら、嬉しく思います。本当にありがとうございました。