2011年8月29日月曜日

チャゲアンド飛鳥の「NとLの野球帽」と西鉄ライオンズの映像

①ブログを初めて8カ月、今日3000ページビュー突破しました。多いか少ないかは分かりませんが、私のつたない文章を読んでくださってありがとうございます…今日兄からメールが来ました。珍しい画像を見つけたからという事でした。

URLをクリックするとチャゲ&飛鳥の「NLの野球帽」のバックミュージックと西鉄ライオンズの選手たちの映像が流れて来ました。稲尾・中西・豊田・扇・大下・関口・河野・和田・高倉・池永・東尾・加藤初懐かしい選手たちの映像が流れて来ました。

③私は三敗四連勝で奇跡の日本一・シリーズ三連覇は、幼すぎて覚えていませんが、母からよく、「あんた覚えとらんとね、神様仏様稲尾様ちゅうて、映画にもなったろうが…」と言われたものです。私が覚えているのは、昭和38年(1963年)の奇跡のパリーグ逆転優勝からです。

④西鉄ライオンズの映像を見ていたら父の事を思い出しました。父は公務員だったのですが、戦争から帰って来て、市役所で軟式野球のチームを作ったそうです。母曰く「夏は野球・冬は残業に明け暮れた…」そうです。私たち兄妹も父の試合をよく見に行きました。

⑤私は父の全盛期の事は知りませんが、かなり上手だったそうです。私の知っている父は、役職に関係なく、若い人たちと野球をする中間管理職の父の姿でした。背番号はライオンズの和田捕手と同じ12でした。父は、仕事のしすぎか、それとも私が心配を掛け過ぎたのか52歳で亡くなりました。

⑥最近兄が、私の影響を受けたのかブログを始めました…一月で私のページビューを追い越してしまいました。兄はケーブルテレビに勤めていて半分プロです。立派なブログで仕方がないのかもしれませんが、クッソーと私の負けじ魂が起き始めました。

⑦私は、パソコン教室で勉強して作ったGoogleBloggerでコツコツと積み重ねて行くだけです…それにしても今日の「NLの野球帽」は懐かしかった。さすがは私の兄です。

 (この文章は、ツイッタ-に掲載した原分です。)













2011年8月26日金曜日

「悪党小沢一郎に仕えて」を読みました

 この本の題名「悪党小沢一郎に仕えて」をツイッタ―で初めて知ったとき、何という題名か…この時期に「悪党…」とは、と思いました。ただでさえ厳つい顔で、悪役レスラーのように思われている小沢さんのことを…まして、検察審査会から強制起訴をされ、政治資金問題で裁判にかけられる直前なのに、悪党とは…
 しかし、次の瞬間、私の頭の中をよぎったものは「悪党・楠正成」でした。鎌倉幕府が衰退し、後醍醐天皇が建武の新政を起こした時に、彗星のように現れて消えていった、歴史の巨人、楠正成でした。
 悪党とは、現在では、犯罪者やその集団、極悪非道をする人などに使いますが、この時代の悪党とは、荘園制度が緩む過程で、既存の勢力に対抗して、自立を主張する人たちなどのことを言っていました。何かしら、小沢さんにダブルものを感じた私は、無性にこの本を読みたくなり、本屋へ行きました。
 ところが、本屋で見つけることが出来ませんでした。考えてみるに、刑事事件で騒がれているとはいえ、北海道選出の無名の代議士が書いた本が、福岡県久留米市の道路沿いの本屋に有るわけがないと悟り、店員さんに聞いてみると、店員さん曰く「当店だけでなく、系列店でも仕入れていません。お取り寄せするのに二週間ほどかかりますが…」とのことでした。私は、せっかく買いに来たのにと思いつつ、予約をして帰りました。
 二週間後、本屋から連絡があり、私は車を走らせ本を買って来ました。
 やっと手にした本を読み始めると、「まえがき」に、私が想像した事(悪党・楠正成)
と同じような事が書いてありました。私は、我が意を得て、それから一気に読み上げました。

 この本を読んで、小沢派が、なぜ小沢軍団と呼ばれるのかが分かったような気がします。それは、小沢氏と秘書達との距離感が物語っているような気がします。徒弟制度というべきか、あるいは相撲部屋というべきか、親方の権力は絶対と読み取りました。
 秘書教育は、住み込みの書生から始まります。「庭掃除が出来ないものに政治や世の中が語られるか…」という感じです。ズボンにアイロンを掛けるところなどは、殿様の身支度をするお小姓と言わんばかりです。車の運転の仕方から、道順の覚え方まで…たとえ腹に一物持っていても、背筋を伸ばし正座して、親方の小言にじっと耐えなければなりません。こうして、一段一段ステップアップして、秘書らしい秘書になって行くのです。
こんな様子を著者は、「吾輩は秘書である」という感じで、斜に構えて書いています。オレは書生上がりの代議士だが、小沢一郎のイエスマンではないと…しかし彼は、こよなく小沢一郎を師と仰ぎ愛していると思います。この本を最後まで読めば、それが分かると思います。

 著者は、衆議員に立候補する時に、小沢氏には黙って、候補者の公募に応募したそうです。その訳は、前に一度相談した時に、「おまえなんかまだ早いんだ」と言って一蹴されたからだそうです。しかし、いつかは打ち明けなければならない。
 著者が打ち明けた時に、小沢氏は烈火の如く怒ったそうです。
 「公募に落ちたらどうするんだ」
 「その時は仕方ありません」
 「ばか野郎、小沢一郎の秘書が落とされるとなると、おまえだけの問題じゃなくなるんだぞ。選挙というのは求められて出るもんだ。いますぐ撤回してこい」
 しかし著者は、例の如く正座はしていたが、一歩も引かず勝ち気で挑んだそうです。結局、公募で選ばれたことで、小沢氏は鉾を治めてくれたそうですが、それから1か月ほど著者を相手にしてくれなかったそうです。
 思い余った著者は、大久保秘書に相談したそうです。大久保秘書は「もう一回、住み込みをやるしかないな」とアドバイスをしてくれたそうです。著者は、最後のご奉公だと思って、小沢氏のネグレストに耐えたそうです。

 著者が立候補する時に、小沢氏は二つのアドバイスをしたそうです。
 一つは、
 「おまえはこれからいろいろな人と出会う。人と付き合っていると、悪口を言う人もいれば、いいことを言う人もいる。だが、人がどう評価しようとも最後は自分で判断しなければならない……
 ……夏のレトルトカレー、覚えているか?…あのレトルトカレーだってそうだろう。賞味期限は人が決めた基準だ。温めてみて食べて大丈夫だったらそれでいいじゃないか」
 (夏のレトルトカレーとは、著者が別荘のお勝手で片づけをしている時に、小沢氏がゴミ箱から未開封のレトルトカレーを取り出して
 「おまえ、まだ、これ、大丈夫じゃないか」
 「でも、先生、それは賞味期限切れていますよ」
 「何を言ってんだ。まだ食えるだろう」と言った事件です。)
 もう一つは、
 「おい、石川、コピー用紙は裏まで使え。角さんも秘書にはケチだって言われていたんだ。だけど、カネってのはな、締めるところは締めて使うところには使うんだ」です。
 これらは、小沢氏が著者に対して、物の捉え方や金銭に対する考え方を教えた物ですが、反面では小沢氏の考え方や金銭感覚がよく分かります。あの小沢さんが、こんなに質素で、庶民的な金銭感覚をされている事が分かって、おどろきました。
 また、政治的なアドバイスはされていません。これは、オレの手元で育てたのだからという自信があるのだと思います。

 著者は、小沢氏の後継者についても書いています。
 小沢に意中の人はいないと思うし、指名することもないと思う。決まった瞬間に権力の移行が始まる。田中角栄の権力掌握術を間近に見ていた小沢も、「角栄の後継者」として指名を受けたわけではない。いいところも悪いところも見て、自分の道を切り開いてきた。
 後継者とはそういうものだ。
 小沢は、オヤジの政治哲学を噛み砕いて文章にまとめた。小沢の代表作『日本改造計画』はタイトルからして、角栄の『日本列島改造論』を意識している。私は『日本改造計画』に続く政策を示し、その内容が国民に受け入れられた人が「小沢一郎の後継者」と言われるべきだと思う。と、書いています。
 私は、著者にもその野心があると思います。著者は、陸山会事件で逮捕され、厳しい取り調べを受けてもひるまずに、横暴な検察と戦い続けて来ました。裁判では良い結果が出ると思います。この苦労は、10年後、20年後の彼にとって、いい財産になるはずです。期待して待ってみようかなと思います。

 この他にも、いろんな事(小沢氏と筋肉マン・ナポレオン三世・チャーチルなどと比較)が書いてありますが、結局、著者がこの本で何を一番言いたいのかと考えた時に、出てきた答えは、まえがきの一番最後に書いてある、セオドア・ルーズヴェルト(アメリカ合衆国第25代・第26代大統領で第32代フランクリン・ルーズヴェルトとは従弟)の言葉でした。
 重要なのは批評するものではありません。
 強い男のつまづきを指摘したり、立派な仕事をした者にけちをつけたりする人間でもありません。真に賞賛しなければならないのは、泥と汗と血で顔を汚し、実際に戦いの場に立って、勇敢に努力する男、努力につきものの過ちや失敗を繰り返す男です。
 しかし、彼は、実際に物事を成し遂げるために全力を尽くします。偉大な情熱と献身を知っています。価値ある大義のために全力を傾け、最後には赫々たる勝利を収めます。たとえ、敗れる時であっても、敢然として戦いつつ敗れます。だから、そういう男を、勝利も敗北も経験しない無感動で臆病な連中と、断じて、同列に並べるべきではありません。
 この言葉は、小沢氏の生き方そのものであり、著者はこの生き方を受け継ごうとしているのではないでしょうか。

 最後に、この本を手にした時に、小沢氏を「悪党・楠正成」にたとえてあることを知り、我が意を得たと書きましたが、実は不安も感じていました。それは、楠正成は天下人に成る事が出来なかったからです。不吉ではないかと…しかしそれは、払拭されました。
 小沢氏の座右の銘に「人事を尽くして天命に遊ぶ」という言葉があるそうです。普通は「……天命を待つ」なのですが、天命を自分の思うように期待してはいけない。人事を尽くして、自分の想いと違う天命が出ても、粛々と天命に従い、また人事を尽くす…人事を尽くすことが大切なんだそうです。
 天下を取った足利尊氏、天下を取れなかった楠正成、しかし天は、双方に歴史上のビックネームを与えています。結果というよりは、その過程が重要なのかもしれません。ただ私は、既成の概念と戦っている、悪党・小沢一郎に、一度この国の行く末を託してみたいなと思っています。

後記
 小沢派には、森ゆうこ参議員を筆頭に脱原発・脱原発依存派が多いなと思っていたのですが、どうやら小沢氏自身も脱原発依存派のようです。
 著者との対談で、小沢氏は次のように語っています。
(石川) 科学技術政務次官時代は原発の勉強をされていたのかな、と。
(小沢) そうそう。それでね。役所は、クリーンで、コストの安い、安全なエネルギーであるみたいな宣伝文句を言っていたんだけども、いまの現実もその当時もあまり変わりないのは、結果的に原発からできる高レベル放射性廃棄物の処理の方策が、いまだ適当な策がないんだよ。ボクは当初から、役所の宣伝文句は別として、過渡的なエネルギーとしては仕方がない。石油もないからね。石炭だってないし、事実上。だから過渡的なエネルギーとしては仕方ないけども、いずれ新しい、クリーンで、しかも日本で大量に生産できるエネルギーっちゅうものを考えなければダメだというふうに思ってきたし、オレは言ってきたんだ。
(石川) 世間では「岩手は小沢一郎が思い通りに動かしている」と常に言われています。岩手に原発がないのは、「小沢先生ががんばったから」という都市伝説のような噂もあるらしいのですが、結果的には誘致する機運がなかったということでしょうか。
(小沢) オレもあまり積極的に引っ張ってこようという気はなかったな。まあ、あの、みんなアレなんだよ、交付金狙いだから。だから、事故が起きない限りはカネをいっぱいもらうからいいっちゅうことになったけど、いまにして考えれば事故が起きて現地の人も大変だし、国全体が大変なんだ。
 私はこの本を読むまでは、小沢氏が原発に対して、この様な考え方をされていることを知りませんでした。この年代の保守系の政治家は、ほとんどが原発賛成派だと思っていました。私は無性に原発問題の解決を小沢氏にお願いしたくなりました。
 小沢さんの剛腕で、官僚や経済界を抑え込み、ハードランディングではなくソフトランディングさせて欲しいと思いました。

著者 石川知裕
1973年北海道足寄町生まれ。函館ラサール高校、早稲田大学商学部卒。96年2月から2005年7月まで小沢一郎秘書。同年衆院選で北海道11区から民主党公認で立候補して中川昭一氏らを相手に落選、07年3月に繰り上げ初当選。09年再選。10年1月、政治資金規正法違反で逮捕、同年2月に起訴、民主党離党。11年2月、初公判。同年夏現在、無所属。

「少年達よ」小沢一郎バージョン映像アルバムへリンク
http://keikurumeiz1238.blogspot.com/2011/10/blog-post_24.html?spref=tw

2011年8月8日月曜日

脱原発を考える

 現在の「脱原発」の考え方を私なりにまとめてみました。私は理系ではないので、複雑な数式や放射能の濃度などは理解できませんが、日本で生まれ育った者として、放射能がどれほど危険な物であるかという事は理解しているつもりです。福島の原発事故で、放射能に汚染された地域の皆様の憤りや恐怖心を考える時、一日も早い事故の終息を願うばかりです。政府は、放射能で汚染された地域の除染や子供たちの疎開を含めた安全対策を迅速に行うべきだと思っています。
 ただ、「脱原発」と言うのは簡単ですが、どう実行するかは難しい問題だと思います。強引に脱原発を推し進めて、原発をすべてなくしたとして、電力の受給は出来るのでしょうか。電力不足による経済の落ち込みは防げるのでしょうか。経済が冷え込んだら、東日本大震災の復興支援は遅れるばかりだと思います。私は、脱原発を狂信的に唱えてハードランディングさせるのではなく、何が出来るのか、出来る物から順次実行してソフトランディングさせるべきだと思います。

 まずやるべき事は、経営破綻が目に見えている東京電力を政府が単純に支援するのではなく、再建の過程で送電会社と発電会社に分離して、社会実験させるべきだと思います。東電の送電と発電の分離が直ぐに出来ない事なら、その方向性を政府が決めるべきだと思います。東電を単純に支援して、焼け太りにさせるのだけは止めて欲しいと思いますし、送電と発電の分離は、自然エネルギーその他の新規参入を図る企業にとっては欠かせない事だと思うからです。
 また、全国一律の電圧を使うべきだと思います。電力が足りない時は、直ぐに買える体制を整える事だと思います。そうすることで、現在の電力会社による地域独占の形態が崩れ、自由競争によるコスト削減にもつながると思います。

 次に、自然エネルギーの需給率を上げる事です。メガソーラー発電・個別のソーラー発電・風力発電・地熱発電等、遣れることから順次に遣る事だと思います。その為の関係法の整備や蓄電池などの技術開発を速やかに行うことです。
 電気は、今までの常識では作り置きが出来ないそうですから、ソーラー発電や風力発電では、必要な時に必要な電力を得る事は難しいとのことです。そこで重要になって来るのが蓄電池の開発だと思います。いきなりメガソーラー発電に使うと言う訳にはいかないかもしれませんが、個別のソーラー発電等(小規模発電機)に使う事は出来ると思います。数が増えれば原価も下がるでしょうし、研究開発費も掛けられるようになると思います。小規模発電でも数が増えれば需給率は上がると思います。
 また、地熱発電は、我国の地理的条件では有望な自然エネルギーに成りえると思います。何より、気象条件に関係なく発電できる利便性があります。しかし、地熱のあるところは国立公園などがあり、景観の破壊やボーリング等による周辺の温泉が減少するなどの二次的な現象が起きる可能性がありますので、それに対応すべき法整備が欠かせないと思います。

 次に、埋蔵発電とコスト削減をどうするかだと思います。
 埋蔵発電があるので、すぐに「脱原発」を行っても電力の受給は大丈夫だという説がありますが、はたしてそうなのでしょうか。
埋蔵発電とは、大企業の自家発電を指すようですが、個々の埋蔵発電の為に仕入れる化石燃料は電力会社が仕入れる化石燃料と比べて少量となり、コスト高になるのではないでしょうか。少なくとも、電力会社から依頼された分の電力に見合う化石燃料の価格差は電力会社が負担すべきだと思いますし、価格差を無くす為に、化石燃料の一括購入を行う仕組みを考えるべきだと思います。
また、埋蔵電力を使用する事は、一時的な事であるべきで、常時使う事には無理があると思います。いざ何かがあった場合の自家発電なので、常に余力を残して置くべきだと思います。
 また、コストという面では、メガソーラーもかなり高くなるそうです。欧米では、消費者がコスト高と知りつつ、自然エネルギーを買うシステムがあるそうです。我が国もそのシステムを取り入れる工夫をすべきだと思います。その為にも、送電と発電の分離が必要になって来ると思います。
 脱原発を唱える人たちの中には、「一度原発が暴走すればコストどころではない。人や自然を破壊し、その復旧や賠償で電力会社の経営は破たんする。」という考え方があります。確かにその通りだと思います。しかし、だからと言ってコストを無視する事も出来ないと思います。我が国の物造りの生命線は、中小企業の部品等の製造にあります。そこで使用される動力源は、全て電力です。電力のコストが上がれば、ただでさえ円高で痛めつけられている中小企業は、壊滅状態になり我国の製造業は成り立たなくなります。

 現在、電力不足の調整弁として考えられているのは、火力発電のようです。実際、今まで休眠状態だった火力発電所が、すでに再活動をしているようです。しかし、原発の停止による電力不足を全て火力発電で補う事は、CO2の増加を意味するだけでなく、大量の化石燃料の輸入をも意味します。その事による化石燃料の価格変動は製造業のコスト高にも繋がります。また石油危機のような動乱が起きた時には、安全保障の問題へと発展する可能性もあります。
 そこで、いろいろ努力した上で足りない分の電力は、しばらくの間は原発に頼るしかないと思います。ただし、「もんじゅ」のような不安定で危険な原発は稼働させない。原発のストレステストを行い、合格した物しか稼働させない。耐用年数が切れた原発は稼働させない。新しい原発は原則として建設しない。消防や警察だけでなく、自衛隊を含めた防災訓練を常時行い、情報の共有化を図る。独立した監視機関を作り、IAEAと協力して世界標準で原発を監視する等の条件を付けて、原発の稼働を認めるべきだと思います。
 とにかく、脱原発あるいは脱原発依存を実行する為には、一日も早く自然エネルギーの需給率を上げる事だと思います。その為には、法整備を行い、送電と発電の分離を行い、蓄電池のような技術革新を行うべきだと思います。これを行う為には、現在の政府の陣容では心もとないと思います。大ナタで、バッサバッサと切りつける事の出来る政治家が、首班指名される必要があると思います。官僚は、生かさず殺さず、政治主導の出来る政治家の出現を期待します。

後記
 左の映像は、福岡県朝倉市の三連水車です。筑後川の水を引き込む堀川用水路から、水田に水をくみ上げています。
 下流の三島の二連水車、久重の二連水車と共に国史跡に指定されています。
 水車三基で、一日約二万トンの農業用水をくみ上げているそうです。そして、約35ヘクタールの水田を潤しているそうです。江戸の技術がいまだに活用されています。
 私は、この様な水車の技術を使って、小型の発電機を回すことが出来るのではないかと思うのですが…
 水力発電と言えば、ダムをつくらなければならない…ダムはこれ以上作れない…というような考え方ではなく、中小河川に水車を利用した水力発電も考えられるのではないでしょうか。もっと意識改革を進めるべきではないでしょうか。