2011年8月8日月曜日

脱原発を考える

 現在の「脱原発」の考え方を私なりにまとめてみました。私は理系ではないので、複雑な数式や放射能の濃度などは理解できませんが、日本で生まれ育った者として、放射能がどれほど危険な物であるかという事は理解しているつもりです。福島の原発事故で、放射能に汚染された地域の皆様の憤りや恐怖心を考える時、一日も早い事故の終息を願うばかりです。政府は、放射能で汚染された地域の除染や子供たちの疎開を含めた安全対策を迅速に行うべきだと思っています。
 ただ、「脱原発」と言うのは簡単ですが、どう実行するかは難しい問題だと思います。強引に脱原発を推し進めて、原発をすべてなくしたとして、電力の受給は出来るのでしょうか。電力不足による経済の落ち込みは防げるのでしょうか。経済が冷え込んだら、東日本大震災の復興支援は遅れるばかりだと思います。私は、脱原発を狂信的に唱えてハードランディングさせるのではなく、何が出来るのか、出来る物から順次実行してソフトランディングさせるべきだと思います。

 まずやるべき事は、経営破綻が目に見えている東京電力を政府が単純に支援するのではなく、再建の過程で送電会社と発電会社に分離して、社会実験させるべきだと思います。東電の送電と発電の分離が直ぐに出来ない事なら、その方向性を政府が決めるべきだと思います。東電を単純に支援して、焼け太りにさせるのだけは止めて欲しいと思いますし、送電と発電の分離は、自然エネルギーその他の新規参入を図る企業にとっては欠かせない事だと思うからです。
 また、全国一律の電圧を使うべきだと思います。電力が足りない時は、直ぐに買える体制を整える事だと思います。そうすることで、現在の電力会社による地域独占の形態が崩れ、自由競争によるコスト削減にもつながると思います。

 次に、自然エネルギーの需給率を上げる事です。メガソーラー発電・個別のソーラー発電・風力発電・地熱発電等、遣れることから順次に遣る事だと思います。その為の関係法の整備や蓄電池などの技術開発を速やかに行うことです。
 電気は、今までの常識では作り置きが出来ないそうですから、ソーラー発電や風力発電では、必要な時に必要な電力を得る事は難しいとのことです。そこで重要になって来るのが蓄電池の開発だと思います。いきなりメガソーラー発電に使うと言う訳にはいかないかもしれませんが、個別のソーラー発電等(小規模発電機)に使う事は出来ると思います。数が増えれば原価も下がるでしょうし、研究開発費も掛けられるようになると思います。小規模発電でも数が増えれば需給率は上がると思います。
 また、地熱発電は、我国の地理的条件では有望な自然エネルギーに成りえると思います。何より、気象条件に関係なく発電できる利便性があります。しかし、地熱のあるところは国立公園などがあり、景観の破壊やボーリング等による周辺の温泉が減少するなどの二次的な現象が起きる可能性がありますので、それに対応すべき法整備が欠かせないと思います。

 次に、埋蔵発電とコスト削減をどうするかだと思います。
 埋蔵発電があるので、すぐに「脱原発」を行っても電力の受給は大丈夫だという説がありますが、はたしてそうなのでしょうか。
埋蔵発電とは、大企業の自家発電を指すようですが、個々の埋蔵発電の為に仕入れる化石燃料は電力会社が仕入れる化石燃料と比べて少量となり、コスト高になるのではないでしょうか。少なくとも、電力会社から依頼された分の電力に見合う化石燃料の価格差は電力会社が負担すべきだと思いますし、価格差を無くす為に、化石燃料の一括購入を行う仕組みを考えるべきだと思います。
また、埋蔵電力を使用する事は、一時的な事であるべきで、常時使う事には無理があると思います。いざ何かがあった場合の自家発電なので、常に余力を残して置くべきだと思います。
 また、コストという面では、メガソーラーもかなり高くなるそうです。欧米では、消費者がコスト高と知りつつ、自然エネルギーを買うシステムがあるそうです。我が国もそのシステムを取り入れる工夫をすべきだと思います。その為にも、送電と発電の分離が必要になって来ると思います。
 脱原発を唱える人たちの中には、「一度原発が暴走すればコストどころではない。人や自然を破壊し、その復旧や賠償で電力会社の経営は破たんする。」という考え方があります。確かにその通りだと思います。しかし、だからと言ってコストを無視する事も出来ないと思います。我が国の物造りの生命線は、中小企業の部品等の製造にあります。そこで使用される動力源は、全て電力です。電力のコストが上がれば、ただでさえ円高で痛めつけられている中小企業は、壊滅状態になり我国の製造業は成り立たなくなります。

 現在、電力不足の調整弁として考えられているのは、火力発電のようです。実際、今まで休眠状態だった火力発電所が、すでに再活動をしているようです。しかし、原発の停止による電力不足を全て火力発電で補う事は、CO2の増加を意味するだけでなく、大量の化石燃料の輸入をも意味します。その事による化石燃料の価格変動は製造業のコスト高にも繋がります。また石油危機のような動乱が起きた時には、安全保障の問題へと発展する可能性もあります。
 そこで、いろいろ努力した上で足りない分の電力は、しばらくの間は原発に頼るしかないと思います。ただし、「もんじゅ」のような不安定で危険な原発は稼働させない。原発のストレステストを行い、合格した物しか稼働させない。耐用年数が切れた原発は稼働させない。新しい原発は原則として建設しない。消防や警察だけでなく、自衛隊を含めた防災訓練を常時行い、情報の共有化を図る。独立した監視機関を作り、IAEAと協力して世界標準で原発を監視する等の条件を付けて、原発の稼働を認めるべきだと思います。
 とにかく、脱原発あるいは脱原発依存を実行する為には、一日も早く自然エネルギーの需給率を上げる事だと思います。その為には、法整備を行い、送電と発電の分離を行い、蓄電池のような技術革新を行うべきだと思います。これを行う為には、現在の政府の陣容では心もとないと思います。大ナタで、バッサバッサと切りつける事の出来る政治家が、首班指名される必要があると思います。官僚は、生かさず殺さず、政治主導の出来る政治家の出現を期待します。

後記
 左の映像は、福岡県朝倉市の三連水車です。筑後川の水を引き込む堀川用水路から、水田に水をくみ上げています。
 下流の三島の二連水車、久重の二連水車と共に国史跡に指定されています。
 水車三基で、一日約二万トンの農業用水をくみ上げているそうです。そして、約35ヘクタールの水田を潤しているそうです。江戸の技術がいまだに活用されています。
 私は、この様な水車の技術を使って、小型の発電機を回すことが出来るのではないかと思うのですが…
 水力発電と言えば、ダムをつくらなければならない…ダムはこれ以上作れない…というような考え方ではなく、中小河川に水車を利用した水力発電も考えられるのではないでしょうか。もっと意識改革を進めるべきではないでしょうか。

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