2011年1月3日月曜日

母とがめ煮

我が家の二階から見た正月の雪景色
あけまして、おめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。

 
今年は、年末年始にかけて、寒さが厳しく、雪がたくさん降りましたが、いかがお過ごしでしょうか。お体を大切に、この一年をお過ごしくださいませ。




母とがめ煮

 我が家のおふくろの味は、がめ煮です。博多では筑前にとも言い、お節料理の一つです。まだ、私の子供のころは、社会全体が貧しく、一年に一度のご馳走でした。
 母のがめ煮は、余所のとは少し作り方が違います。まず最初に、ごぼうと蓮根は、皮をむいて茹でて置きます。コンニャクもあくを抜く為に茹でて置きます。かしわのぶつ切りでスープを取り、かしわだけを取り出して、醤油とみりんと砂糖で煮込んで味を付けます。干し椎茸の水で戻した物を四つに切り、これも醤油とみりんと砂糖で煮込んで味を付けます。次に、大鍋の底にコンニャクを適当に切って並べます。そして、蓮根・ごぼう・人参・里芋の順に大口に切って入れます。この大鍋に、かしわのスープと干し椎茸を戻した水を入れ煮込みます。そして、充分にあくを取り、柔らかくなったら薄口醤油とみりんと砂糖、かしわと干し椎茸を煮込んだ残りの汁で味を付けます。これらは、具材に味をしみ込ませると共に、煮崩れを防ぐ為だそうです。そして、盛り付けの時、かしわと椎茸、生姜で作ったけんをトッピングします。
 このがめ煮の作り方は、母の汗と涙の結晶でした。今では考えられない事ですが、当時は、年賀の挨拶に、父の部下の方が、元旦から大勢やって来られました。小さな我が家には、足の踏み場も無いほどのお客さんでした。母は、そのお客さんに、お膳を作ったり、接待をしなければなりませんでした。母は言っていました。「うちの正月は、どうしてこげん忙しかつやろか、泣こうごたる。」と………
 私たちにして見れば、ただ美味しいと食べればよかったがめ煮ですが、母にして見れば、美味しいだけでなく、見栄えが良くて、大量に作らなければならなかったのです。今になって見れば、母の気持ちがよく分かります。
 時は流れ、父は五十二歳の若さで亡くなりました。我が家にも静かな正月がやって来ました。そして、母は八十路を迎え、台所にも殆ど立たなくなりました。しかし、正月のがめ煮を作る時だけは、私に下拵えだけをさせ、後は自分で作りました。その姿を見て私は、これが主婦のプライドなんだなと思いました。
 その後、母は足腰が衰え始め、車いすで生活をするようになりました。私がそばにいないと不安を感じるようになり、入退院を繰り返すようになりました。そして、正月のがめ煮も私が作るようになりました。
 私が母に「がめ煮は美味しかね。」と聞くと、母は「美味しかよ。やればできるとたい。」と言ってくれました。
 そんな母でしたが、昨年の三月に、ショートステー先の施設で、突然亡くなりました。看護師さんの話によると、朝方(午前四時三十分位)に見回りに来た時には、息をしていなかったそうです。前日まで、母と私と作業療法士さんと三人で、リハビリをしていたのに……介護士さんに「今日は私の誕生日です。」と、喜んで話をしていたのに……享年八十五歳でした。
 お葬式の時、兄の長男が、孫を代表して、お別れの挨拶をしました。
 「おばあちゃん、正月のがめ煮は美味しかったよ………ありがとう。」
 この言葉を聞いた時、私は心にこみ上げる物を感じました。
合掌


 今年も母の好きだった、アロエの花が咲きました。寒い冬に、朱色の花を咲かせています。 

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