2012年9月20日木曜日

NHKドラマ「陽だまりの樹」第8回求婚と暗殺を見ました

 冒頭回想シーンが流れています。そして、良庵の声でナレーションが「安政五年夏、江戸をコロリが襲い、多くの市民が命を落とした。コロリが治まった頃、今度は大獄の嵐が吹き荒れた…」と…

 映像は、おなかの死や安政の大獄で万二郎が捕らわれ、拷問されているシーンが流れています。万二郎は、拷問されながらも「俺は無実だ…」と訴えます。また、開明派の志士達が斬首されているシーンが映し出されています。

 ナレーションはさらに続き「安政七年(1860年)三月、桜田門外で伊井大老は暗殺され、大獄の嵐はようやく治まった。」と…映像は、万二郎が江戸に戻り、手塚家の屋敷で良庵と会っている様子が流れています。良庵は、万二郎に「お前がいない一年半、みんながどれだけ心配したと思っているんだ…」と言います。そして万二郎は、麻布の善福寺におせきを訪ねます。おせきと万二郎は、見つめ合っていました。おせきは、驚いた表情で「伊武谷様…」と言います。万二郎は「帰って来ました…」と言います。おせきは涙を流していました。万二郎は、そんなおせきを見つめながら「おせき殿…」と言います。おせきは、笑みを浮かべながら涙を流して「御無事で何よりです…もう、身を隠さなくてもいいのですか…」と言います。良庵は「はい…伊井様が亡くなったことで、私も無罪放免に…」と言います。おせきは、ホッとした表情で「良かった…毎日、お祈りしていました…伊武谷様のご無事を…」と言いました。良庵は、おせきに一歩進みより「私も…」と言うと、懐からおせきに貰ったお守りを取り出して見せます。そして、「これを見て、おせき殿のことを…汚れてしまいました…毎日握りしめていたので…」と言います。おせきは、お守りを見ながらニッコリと笑います。万二郎は「おせき殿…」と言います。おせきは「はい…」と返事をします。良庵は、気恥ずかしいのか小声で「あの…」と言うのですが、その時、後ろの方から男の声で「伊武谷様…」と呼ぶ声が聞こえて来ました。万二郎が振り向くと同僚だった、犬山惣乃進と猿田菊蔵が笑顔で駆け寄って来ました。

 犬山は万二郎に「お久しぶりです…」と言います。猿田は「お騒がせしました…領事殿がお会いしたいそうです…」と言いました。万二郎は、精悍な眼差しで猿田を見つめながら「ハリスが!…」と聞き返しました。結局、万二郎は、おせきに思いを告げる事は出来ませんでした。ここで、「陽だまりの樹」第八回~求婚と暗殺~の字幕が流れます。

 

 外は雨が降っています。万二郎は、市中から外れた農家の一軒家に、傘をさして遣って来ました。万二郎は、入口の前に立ち止まると「ヒュースケン!…俺だ!伊武谷万二郎だ!…開けてくれ!…」と言います。すると、入口の戸が開き、嬉しそうにヒュースケンが現れ「万二郎!…」と言います。万二郎はヒュースケンに「あんたを説き伏せて、連れ戻すように頼まれた…いったいハリスとの間に何があったんだ…」と言いました。

 万二郎とヒュースケンは、いろりに向かって、隣合わせに座っていました。ヒュースケンは、薪の小枝を火にくべながら怒った表情で「ハリス!…うるさく命令する!…酒ダメ!女ダメ!…私、自由ない!…」と言います。万二郎は、ヒュースケンに視線を合わせながら「ヒュースケンとハリスは、三十も違うから…ずっと一緒にいると息が詰まるんだろう…」と言います。ヒュースケンは「そう…」と答えました。万二郎は「ハリスに話して見るよ…縛らないでくれって…だから、戻ってくれないか…」と言います。ヒュースケンは、不服そうな表情で「万二郎…好きな女いるか…」と聞きます。万二郎は、どう答えていいのかと思いつつも「ああ…いる…」と答えました。するとヒュースケンは「その人と夫婦になるか…」と聞きました。万二郎は、少し考えながらも「なる…」と答えました。ヒュースケンは、笑みを浮かべながら「おめでとう!…」と言います。万二郎は、はにかむように「いや、まだ決まった訳ではない…」と言います。ヒュースケンは「日本の女、美しい…私も妻が欲しい…」と言います。万二郎は、ヒュースケンを見ながら笑い出しました。そして「分かった…それも話して見る…」と言います。ヒュースケンは、笑顔で「ありがとう…万二郎…友達…」と言うと、手を差し伸べて握手を求めました。万二郎は、笑顔でヒュースケンの手を握ると、固く握手を交わしました。

 

 おせきは庭をほうきで掃いていました。万二郎は、おせきの後姿をじっと見つめていました。万二郎は、意を決して、おせきに歩み寄ると「おせき殿…」と呼び掛けました。おせきは、笑顔で「伊武谷様…」と言うと、ほうきを地面に置いて、万二郎を振り返り「今日は、如何されたんですか…」と聞きます。万二郎は、真面目腐った顔つきで「ああ、仲互いしていたアメリカ人の仲裁を頼まれまして…」と言います。おせきは「そうですか…」と言います。万二郎は「ええ、アメリカ人が、ここを使うようになって、何か御不便な事はありますか…」と聞きます。おせきは「私は今、離れにいますので、アメリカ人と顔を合わす事も無く、今までとは変わりありません…」と答えました。万二郎は、少し不審な表情で「離れに…」と聞き返します。すると、おせきも少し曇った表情で「父が、そうしろと…父はアメリカ人を恐がっていまして…」と答えました。万二郎は、俯きながら「そうですか…そんなに恐ろしい連中ではないんですが…」と言います。そして突然、表情を変えて大きな声で「この前!…言えなかったことを言います…おせき殿…」と言います。おせきは、小さな声で「はい…」と言います。万二郎は、澄んだ瞳でおせきを見つめながら「私の妻になって下さい…」と言いました。おせきは、笑みを浮かべながら「はい…」と答えました。万二郎の緊張した顔はほころんで、笑みが浮かび上がりました。

 

 万二郎と良庵は、料理屋で飲んでいた。良庵が驚いた表情で「何だと!…本当か…」と聞きます。万二郎は「ああ…」と答えました。良庵は「おせきさんは、本当にうんと言ったのか…」と聞きます。万二郎は、ニッコっと笑いながら「言った…」と答えました。良庵は、あこがれのおせきを万二郎に取られて悔しそうに「畜生!…」と言います。万二郎は、良庵の言葉に反応して「畜生?…」と聞き返します。良庵は取り繕うように「あの、いや…ああ、おめでとう…良かった…」と言いました。良庵は、銚子を手に取ると「あ、まあ飲め…」と言って酒をすすめました。そして「ようやくか…で、住職には話したのか…」と聞きます。万二郎は「いや、まだだ…」と答えました。良庵は、万二郎の顔を呆れるように覗きこみながら「善福寺に言って来たんだろう…如何してそのまま話を付けてこないんだ…」と言いました。万二郎は「そこまで気が回らなかった…」と言います。良庵は、呆れるように「あああ…こういう事はな、相手の気持ちが変わらないうちに、どんどん話しを進めっちまうんだよ…そうすれば逃げられなくなる…」と言います。万二郎は「おせき殿は逃げたりしない…」と言います。良庵は「そんな悠長な事言っていると、誰かにさらわれっちまうぞ…よし、俺が間に立って、住職に話をして遣ろう…」と言います。万二郎は、語気を強めて「よせ!…俺が言う…」と言いました。そして万二郎は、直ぐに立ち上がります。良庵は、万二郎を見上げるようにして「何だ…」と言います。万二郎は「思い立ったら吉日だ…今から行ってくる…」と言うと、良庵を一人部屋に残して出て行きました。良庵は、驚いた表情で「今から…おい…金置いてけ…」と言います。

 

 万二郎は、善福寺の山門前の石段を駆け足で登っていました。山門に掛けられた提灯には、煌々と明かりが灯されていました。万二郎は、山門前でふと足元を見ると、門番をしていた武士が二人倒れていました。万二郎は膝まづき、武士の背中を握って揺さぶって見ますが、何の反応もありませんでした。万二郎の表情は一変し、刀の柄に手を掛けながら山門を潜り抜けて、善福寺の中へ入って行きました。

 曲者が、灯りの付いた部屋に、そっと忍びよろうとしていました。その時、万二郎が大きな声で「待て!…」と叫びました。その声に曲者の二人が振り向きました。万二郎は、走り込みざま、刀を抜いて二人と斬り合いになりました。そして、二人を切り捨てます。そこへ、丑久保陶兵衛が現れました。陶兵衛は「伊武谷万二郎…また会ったな…」と言います。万二郎は陶兵衛を睨みつけながら「お前は…」と言います。陶兵衛は、刀を抜きながら「今度こそ、異人と一緒にあの世に送ってやるわ…」と言いました。万二郎と陶兵衛の斬りあいが始まりました。斬り合いは互角で、なかなか勝負がつきませんでした。その時ハリスが、縁側に出て来ました。万二郎は「ハリス…危ない…」と言います。陶兵衛が、ハリス目がけて駆け寄って行きます。万二郎もハリスを助ける為に駆け出しました。陶兵衛がハリスに斬りかかると、万二郎は刀で受け止め防ぎました。ハリスは逃げて、二人の斬り合いは続きました。その時「出あえ!出あえ!…」と言う警護の武士の声がしました。そして、警護の武士たちが二人の周りに集まりました。陶兵衛は万二郎に「決着は、またの日に預けるぞ…」と言うと、その場を立ち去りました。万二郎を先頭に、警護の武士たちが、陶兵衛を追い掛けましたが、陶兵衛は、逃げ切りました。

 曲者の死体の前に、おせきが立っていました。おせきは、恐怖を感じていました。そこへ、万二郎が駆けつけて来ました。万二郎は「おせき殿…」と呼び掛けます。おせきは、震えているような声で「どうして、こんな事が…」と言うと、曲者の死体に向いて合掌をしました。万二郎は、息を切らせながらおせきの顔をじっと見つめていました。

 

 良仙の屋敷では、町人の男が診察を受けていました。隣に座っている女房らしい女が、心配そうな表情で「手術…」と言います。良仙は「うん…」と言います。そして、患者の患部を触りながら「ここのところ…」と言うと、患者が「イテテテ…」と声を上げました。良仙は、患者の額を手のひらで軽く叩きながら「何じゃ、これくらい…我慢せい…」と言いました。そして「ここのところをな…こう切り開いて、折れている骨と骨をくっ付けるんじゃ…暫く時間は掛かるかもしれんが、必ずまた、働けるようになる…」と言います。すると、女房らしき女が、切羽づ待った表情で「でも、そんなお金…」と言いました。良仙は、女房らしき女の顔を見つめながら「お金の事など心配せいでもよい…」と言います。そして、患者の顔を見ながら胸をポンと突いて「必ず治るから…好いね…」と言いました。女房らしき女は「お願いします…」と言うと、深々と頭を下げました。

 患者は、麻酔を掛けられ手術台の上に寝かされていました。良庵が手術の準備をしながら「父上…」と言うと、良仙は「うん…」と返事をします。良庵は「あんなに詳しく話さなくても好いんじゃないですか…余計に不安になるだけでしょう…」と尋ねます。良仙は、手術の準備の手を止めて「分かっとらんなあ…逆じゃよ、逆…患者や、その身内という者は、医者に何をされるか分からんから不安になる…きちんと解き明かしてやれば安心する…これが大事だ…病や怪我を治すだけが医者の仕事ではない…患者や身内の気持ちを考えて遣る…これも医者の務めだ…医は仁術なりだ…」と、良庵を諭しました。良庵は何かを感じているような眼差しで「はあ…」と答えました。良仙は「よし、始めるぞ…」と言います。良庵は「はい…」と答えると二人は手術を始めました。

 控えの間には、患者の女房らしき女が、緊張した表情で正座をして待っていました。おつねは女に御茶を出していました。時間は過ぎ、良仙の顔には疲れの表情が現れていました。良仙は縫合しながら「ふう…」と溜息を吐きました。良庵は、介添え役として真剣は表情で良仙の手術を見詰めていました。

 良庵は、溜息を続ける良仙の顔を見て「大丈夫ですか…」と尋ねます。良仙は、笑みを浮かべながらも疲れた表情で「疲れたのかな…目が霞んできた…」と言います。そして良庵に「代わってくれるか…あとは縫うだけだ…」と言いました。良庵は、笑みを浮かべながら「はい」と答えました。良仙は、良庵に席を譲ると、暫く良庵の縫合を見ていました。そして、大丈夫と思ったのか歩いて部屋を出ようとしますが戸の前で倒れました。良庵は気付くと「父上!」と叫びました。しかし、縫合の最中で手が離せませんでした。良庵は、大声で「おつね!…来てくれ!…」と叫びました。

 

 良仙は、座敷に寝かされていました。良庵は、良仙の手を取り、脈診をしていました。その横には、おつねが控えていました。脈診が終わると、おつねは心配そうな表情で良庵に「どうなの…」と聞きました。良庵は、小さくため息を吐くと「卒中だ…」と答えました。おつねは、良仙の顔を見ながら「働きすぎたんですよ…」と言います。良庵は、心配そうな表情で、黙って頷きました。

 外は暗くなり始め、良庵は行燈に火を灯しました。その姿は項垂れていて、良仙の病状が重い事が分かりました。その時、良仙の意識が戻りました。良庵は気付くとにじり寄り、良仙の顔を覗きながら「父上…」と声を掛けます。良仙は「手術は…」と聞きます。良庵は「安心してください…無事に終わりました…」と答えます。良仙は、ろれつの回らない声で「わしゃいったい…」と聞きます。良庵は「卒中です…」と答えました。そして、笑顔を作りながら「何…それだけ喋れるんだから…大丈夫ですよ…」と言いました。

 良仙は、目を瞑りながら「おなかがな…まだ、こっちに来るなと言うんじゃよ…」と言います。良庵は「母上が…ですか…」と聞き返しました。良仙は「夢じゃ…夢じゃ…おなかがな…若くて綺麗じゃった…」と言うと、良仙は軽く笑いました。その表情を見て、良庵の顔にも笑みが浮かびました。良仙は「わしは向こうへ行きたかったんじゃがな…」と言います。すると良庵の顔が緊張し「何言っているんですか…父上の診察を待っている人が沢山いるんですよ…暫くして、元気になったら…また、働いてもらわないと…」と言いました。しかし良仙は「無理じゃ…」と言います。良庵は、声を少し強めて「どうしてですか…」と聞きます。良仙は左手で掛け布団を払い除けると「右手が動かん…」と言いました。良庵の目が鋭くなり「えっ…」と言います。そして、良仙の右手を取り反応を確かめました。良庵が黙って良仙の顔を見つめていると良仙は「良庵…お前が遣れ…」と言います。良庵は自身の無い表情で「えっ…」と言いました。良仙は、良庵を見つめながら「お前が良仙を名乗って後を継ぐのだ…」と言います。良庵は、泣きそうな表情で「そんな…」と言います。すると良仙は、動く左手で良庵の襟元を確りとつかみ「倅よ…お前は医者だ…自信を持て…」と言いました。良庵は、襟元の良仙の手を取ると両手で確りと握りしめました。

 

 ハリスは縁側に立って庭を眺めていました。そこへヒュースケンが現れました。ハリスは「ヘンリー…」と呼ぶと、手を差し伸べてヒュースケンと握手をしました。ヒュースケンは「襲撃の話は聞きました。御無事で何よりです…」と言います。ハリスは「よく戻って来てくれた…」と言います。ヒュースケンは「ご心配をさせて申し訳ありませんでした…」と謝ります。ハリスは「もう済んだ事だ…」と言いました。

 ヒュースケンは、護衛の武士に案内されて、自分の部屋へ向かいました。護衛の武士は部屋の前まで来ると「この部屋をお使いください…」と言います。ヒュースケンは、部屋を覗き込みながら「ありがとう…」と言います。そして、庭の方に目を向けると、偶然にも花を抱えたおせきが歩いていました。おせきは、ヒュースケンに気づいて一瞬驚くのですが、気を取り直して、さり気なく一礼をしました。ヒュースケンと護衛の武士も一礼をしました。おせきが立ち去ると、ヒュースケンは、おせきの後姿を見ながら「あの娘は…」と、護衛の武士に聞きました。護衛の武士は「この寺の御住職の娘さんで、おせき殿です…」と答えました。ヒュースケンの顔に笑みが浮かびました。どうやらヒュースケンは、おせきの事を気に入ったようでした。

 

 万二郎は、城に呼び出されていました。万二郎は、両手を付いて深く低頭していました。万二郎の前には、役人らしき武士が立って、書状を開き読み上げ始めました。「伊武谷万二郎殿、右の者、禄高百石にて、外国方警護番頭を申しつくるもの也…」と…読み上げた役人は、その書面を裏返しにして、万二郎に見えるように広げたまま見せました。ここで良庵のナレーションが入ります。「万二郎は、ハリスを刺客から守った功績により、百石取りの身分となった…」と…

 良庵は、万二郎の家に来ていました。良庵は、盃を捧げ持つようにして「この度は、おめでとうございます…」と、緊張しながら言いました。万二郎は、そんな良庵に視線を合わせて「やめろよ…堅苦しい…」と言いました。良庵は、急に薄笑いしながら足を崩します。すると万二郎は「良仙先生の具合はどうだ…」と尋ねました。良庵は「今のところは落ち着いているが、もう手術刀は持てねいな…」と言います。その時、おとねが料理を持って部屋に入って来ます。おとねは、二人の側に座ると「まあ…大変ですね…あんなにお元気でいらしたのに…」と言いました。良庵は、落ち着いた声で「病には、勝てません…」と言います。すると万二郎は「で…名は継いだのか…」と尋ねました。良庵は「いや、良仙ていう名は、俺には重たくて…」と言います。万二郎は「そんな事言っている時か…お前以外に誰が後を継ぐんだ…」と言いました。良庵は、はぐらかすように「人の事より、自分の方はどうなんだ…」と言います。万二郎は「何…」と聞き返します。良庵は「百石取りの身分になって、足りない者は何だ…」と、問いかけました。すると、おとねが万二郎の顔を覗き込むようにして「嫁ですよ…」と言いました。良庵は、おとねに向かって「おっしゃるとおり…」と言います。そして、万二郎に「お母上に、ちゃんと話したのか…」と言います。その後に、小声でおとねに聞こえないように「おせきさんの事を…」とも……万二郎も小声で「いや、まだだ…」と答えました。すると二人の話が聞こえたのか、おとねの目の色が変わり、良庵に「おせきさんが何か…」と、尋ねました。万二郎は、おとねの方を向くと座りなおして、反対されるのを覚悟の上で「母上…実は…おせき殿を…嫁に貰おうと思っております…」と言いました。おとねは、笑顔で「あ、それは…あのような方が来てくだされば申し分ないけれど…先様は…」と言いました。万二郎にとっては、意外な言葉でした。おとねは以前、武家の身分にこだわり、寺の住職の娘、おせきとの縁組には反対していたからです。ただ、コロリに掛かった自分を献身的に看病してくれたおせきの事を、この様な娘ならば万二郎の嫁に迎えるべきだと考えを改めていました。万二郎の顔に笑みが浮かび「おせき殿は、はいと言ってくれました…」と答えました。おとねは、ホッとした表情で笑みを浮かべ「まあ、本当に…」と言います。万二郎は「はい」と言うとニコッと笑いました。良庵は、両膝を手で叩くと座りなおして、おとねに「こうなったら、私が間に入って、話しを付けましょう…」と言います。万二郎は、慌てて「それは自分で…」と言います。すると良庵が「こういう事は、人に任せるもんなんだよ…」と言いました。おとねは嬉しそうに「そうですよ…万二郎…良庵殿、宜しくお願い致します…」と言うと、両手を付いて深々と良庵に頭を下げました。良庵もおとねに、深々と頭を下げました。良庵は向き直ると万二郎に「この良庵、及ばずながら月下氷人をあいつとめ候…」と言います。良庵も万二郎も、思わず笑い出しました。

 

 善福寺の山門の提灯に灯りが入っていました。ヒュースケンは、門番に軽く手で挨拶すると、境内の中へ入りました。

 おせきは、離れの自分の部屋の縁側で、横笛を吹いていました。横笛の音色に誘われて、ヒュースケンが、おせきの前に遣って来ました。おせきは、ヒュースケンと視線が合うと、横笛を吹くのを止めました。ヒュースケンは、おせきに「あなたでしたか…」といい、手を差し出し、頭を下げて、西洋式の挨拶をしました。おせきは軽く一礼をしました。しかし、おせきの目は怯えているようでした。おせきは自分の部屋に入ると、直ぐに障子を閉め、部屋の隅で怯えていました。すると、ヒュースケンの「今晩は…」と言う声が聞こえて来ました。おせきが黙っていると、ヒュースケンは障子を開けて「私、ヘンリー・ヒュースケン…挨拶に来ました…」と言います。おせきは、恐怖のあまりにオドオドしながらも「せきと申します…」と言うと、頭を下げました。ヒュースケンは、部屋の中に入りながら「おせきさん…あなたの友達になりたい…」と言います。おせきは、恐くてどうしようもなく、後ろを向いてオドオドしていました。ヒュースケンは「大丈夫…恐がらないで…私、悪い者ではない…」と言いますが、おせきはパニックになっていました。おせきはヒュースケンに「困ります…この夜分に…」と言います。ヒュースケンは、手を腰の後ろに組冷静に「あなたの事を知りたい…お友達になって下さい…」と言って、握手をしようと手を差し伸べるのですが、おせきは恐怖で体がガチガチに固まっていました。おせきは、勇気を振り絞って「いけません…」と言うと、逃げ出そうとしますが、ヒュースケンは、思わずおせきの服に手を掛けました。ヒュースケンは、おせきを捉まえると「違う…違う…これは、私たちの挨拶…」と言うのですが、おせきは、動転して「いけません…やめて下さい…」と、大声を上げました。ヒュースケンは、おせきの気を鎮めさせようと「大きな声を出さないで…」と言うのですが、おせきには理解できずに抵抗を続けました。おせきは、障子を開けて「誰か…」と声を上げるのですが、ヒュースケンは、それを止めようとしました。そして、おせきを捉まえて「静かに…」と言います。しかし、動転しているおせきは、ヒュースケンの頬を平手で叩きました。その時、ヒュースケンの男の本能が現れて、おせきを倒して、体の上にのしかかりました。おせきは、ありったけの力で抵抗しながら「やめて…やめて…」と泣き叫ぶのですが、ヒュースケンは、ついにおせきを手籠めに掛けました。

 

 万二郎は道場で、一人剣術の稽古をしていました。そこへ良庵が「万二郎!…万二郎!…」と叫びながら遣って来ました。良庵が息を切らせながら道場に入って来ると万二郎は「如何した…騒々しいな…」と尋ねました。良庵は、訳の分からないという表情で「如何したもヘチマもあるか!…お前さんは、いったい何を遣っていたんだ!…」と言うと、万二郎の胸を突き飛ばしました。すると万二郎は、怒りだして「なんだい!藪から棒に!…」と言いました。良庵は、呆れた表情で「おせきさんが、尼寺に入った!…」と言います。それを聞いた万二郎は、鋭い眼差しで良庵を見つめて「何!…」と聞き返しました。良庵は「おせきさんが、尼寺に入ってしまったと言ったんだ…」と…万二郎は、茫然とした表情で「尼寺へ…」と言います。良庵は、万二郎を睨みつけながら「ああ…善福寺に行って来たんだ…そしたら、おせきさんは三日前に尼寺に飛び込んで、髪を下ろしてしまったって…」と言います。万二郎は、信じられないという表情で「おせき殿が?…何かあったのか…」と聞きました。良庵は「訳は、こっちが知りていよ!…」と言いました。万二郎は、木剣を良庵に渡すと、駆け出して道場を出て行きました。

 万二郎は、善福寺の石段を急ぎ足で登っていました。山門を入り、離れの方へ向かっていました。

 ヒュースケンは、御縁から庭に下りる階段に腰をおろしていました。その表情は、暗く重たいものでした。万二郎は、そんなヒュースケンには目もふれず通り過ぎて行きました。ヒュースケンは、万二郎に気付くと「万二郎…」と呼び止めました。万二郎は振り向くと立ち止ります。ヒュースケンは立ち上がり「万二郎、御話聞いて言い…」と言います。万二郎は「悪いな…今忙しいんだ…」と言います。ヒュースケンは、万二郎に歩み寄りながら「少しでいい…私、苦しい…」と言います。万二郎は「病気か…」と聞きました。ヒュースケンは「恋の病だ…」と言います。万二郎は、ヒュースケンに視線を合わせて「恋の病…」と聞き返しました。ヒュースケンは、苦しそうな表情で「私、ある女が好きになった…三日前に、その女に好きと言った…でも、その娘…私の事を恐がった…私、度を越した…倒した…力ずくで…」と言います。俯きながら黙って聞いていた万二郎は「手籠めにしたのか…」と、問い質しました。ヒュースケンは「私……その娘と夫婦になりたい…でも…その娘…家出してしまった…」と言います。一瞬の沈黙の後、万二郎は「その娘の名は…」と聞きました。ヒュースケンは「おせきさん…」と答えました。万二郎の表情が険しくなりました。ヒュースケンは「万二郎…知っているのか…」と聞きました。万二郎は、鋭い眼差しでヒュースケンを睨みつけて「おせき殿をお前が手籠めにしたというのか…」と聞き返しました。ヒュースケンは「悪い事をしたと思っている…」と言います。万二郎は、左手を刀のつばに手を掛けると腰を屈めて構え、右手で刀の柄を握りながら「よくも…よくも!…」と言います。ヒュースケンは、万二郎がいつもと様子が違うのに気付き「如何したのだ、万二郎…」と言います。万二郎は、ヒュースケンを睨みつけながら「おせき殿は、俺が心に決めた人だ!…俺の妻になる人だったんだ!…」と大声で言うと、刀を抜いて構えました。良庵は「許さん…」と言いながら、ヒュースケンに歩み寄ります。ヒュースケンは、すまなかったという気持ちと、恐ろしい気持ちが合い混じって、苦しげに「待って!…知らなかった!…許してくれ!…」と言いました。万二郎は、ヒュースケンに刀を突き付けながら「誤って済むと思っているのか!…一人の女の一生を台無しにして…」と言います。万二郎は、刀を右肩の上に構え直して「おのれ…」と言います。ヒュースケンは、悲壮な表情で「悪かった…ソーリー…」と言うと、目を瞑ってじっとしていました。万二郎は、構えた刀を思いきって振り下ろしました。ビシュッという空を切る音がしました。万二郎の体の動きが止まっていました。万二郎は、ただ無念という表情をしていました。そして万二郎は、振り下ろした刀を鞘にも納めずに、その場を駆け去って行きました。ヒュースケンは、生汗を流しながら何度も大きな溜息をつきました。

 

 万二郎は、桜田町の尼寺、全稱寺の門を叩きながら「お頼み申す…私は外国方警護番頭伊武谷万二郎と申す者です…三日前に当寺に入られた、おせき殿に一目お会いしたくてまいりました…お頼み申す…」と言いました。すると、年配の尼僧が門を開けて出て来ました。万二郎は、尼僧に一礼をして「おせき殿に…会わせて下さい…」と言います。尼僧は「ここは男子禁制の尼寺にございます。何人と言えども御引き合わせする事は叶いません。」と言いました。万二郎は、切羽詰まった表情で「そこを何とか、まげて…せめて、一目だけでも御許しを…」と言いますが、尼僧は「なりませぬ。御帰りを…」と言うと、頭を下げました。万二郎は、諦めきれずに土下座をして、両手を付いて「このとおりです!…お願いします!…」と言うと、深く頭を下げました。そして「おせき殿を…何とぞ…」と言います。しかし、尼僧は無表情で「叶いませぬ…お帰り下さい…」と言うと、寺の中へ入り、門を閉めました。万二郎は立ち上がり、諦めきれずに門の板戸に向かって「話しを聞いて下さい!…」と叫びました。おせきは、御本尊の前に座って、ただ仏像を見つめていました。万二郎は、項垂れ肩を落として帰って行きました。

 万二郎は、御城に呼び出されていました。万二郎は、両手を付いて低頭しています。万二郎の前には、幕府の役人がたっていました。役人は「型っ苦しい挨拶は抜きだ…俺は、勝麟太郎ってものだ…警護役を辞めたいって…」と言います。万二郎は、かすれるような声で「はい」と言いました。勝は、万二郎に歩み寄ると、片膝を付いて「そもそも、お前さんを警護役に着かせたのは、亡き阿部伊勢の守様のお計らいだぜ…幕府の中に外国人の本心を知る人間がいる為だった…」と言います。万二郎は、低頭したまま「外国人の心の中が、一向に分かりません…」と言いました。勝は見下ろすようにして、万二郎の心の中を探りながら「アメリカ人と何かあったのかい…」と聞きます。そして「お前さん…通訳のヒュースケンとは心安いと聞いていたが…」と言います。万二郎は、低頭しながら無表情で「ヒュースケンの心など、とんと分かりません…一日も早く、警護役を御免除頂きとうございます…」と言うと、さらに深く低頭しました。万二郎にしてみれば、最愛のおせきを手籠めにしたヒュースケンの顔など見たくもなかったのでしょう。ところで、幕末の大スター勝麟太郎(海舟)が、今回初めて登場しました。同じ幕府方として、今後、万二郎とどの様に関わっていくのか楽しみです。

 丑久保陶兵衛は、居酒屋で酒を飲んでいました。そこへ浪人が遣って来て「伊武谷万二郎が、警護役を降りた…」と伝えました。陶兵衛は、宙を見ながら何故だろうと頭を巡らせていました。

 

 手塚家の屋敷では、良仙の寝ている周りに、良庵とおつね、大槻俊斉と妻で良庵の妹が座っていました。良仙が目を開けると良庵が心配そうに覗きこみながら「父上…」と呼び掛けます。良仙は「お久か…」と聞きます。すると、おつねが身を乗り出して「私は、つねです…」と答えました。すると良仙は「皆さんにお酒をお出しせんか…」と言いました。おつねは良庵に「お酒ですか…」と聞きます。良仙は「良庵…」と言います。良庵は、出来るだけの笑みを作りながら「はい…ここにいますよ…」と言います。良仙は「芸者を呼べ…」と言います。良庵は「芸者…ああ、はい…呼びましょう…」と言いました。良庵は、笑みを浮かべながら「おなかに知られんようにな…」と言います。良庵は笑顔で「はい…呼びましょう…」と答えました。良仙は、もう一度「おなかに知られんようにな…」と言うと、馴染みの芸者達の名前を上げ始めました。そして「梅花…あれはいい子だ…」と言うと、大きく息を吐き出します。その様子を見ていた良庵の表情が、次第に硬くなって行きました。良庵の向かい側に座っていた俊斉が、掛け布団を少し外して良仙の手を取り脈診を始めました。俊斉は、手を良仙の鼻の上に置き、呼吸をしているか確かめました。俊斉は、首を振りながら良仙の手をそっとおきました。おつねと俊斉の妻の泣き声が部屋に響きました。良庵は「父上…」と言います。俊斉は「父上は、立派な人でした…種痘所設立という…大仕事に打ち込んでおられながら…御自分は一切…巧妙心も…欲も…お持ちで無かった…」と言います。良庵は、良仙の形見となった眼鏡を握りしめていました。

 良庵は、ポツリと診察室に立っていました。そこへ万二郎が遣って来ました。万二郎は、良庵の後ろから「良庵…」と声を掛けます。良庵は「顔を見て遣ってくれたか…」と言います。万二郎は「ああ…穏やかな御顔をなさっていた…」と言います。良庵は、笑みを作りながら「いい気分で、あの世に行ったんだろうな…最期に言ったのは…芸者の名前だ…親父らしいよ…」と言いました。万二郎は、黙って聞いていました。良庵は「ここにいると…親父の事をいろいろ思い出す…俺は本当は、医者になるのは嫌だったんだ…」と言います。万二郎は、驚いた表情で、小さく「えっ…」と言いました。良庵は、振り向いて万二郎の顔を見ると「子どもの頃から、血を見るのが苦手でな…」と言うと、診察台に置いてあった良仙の形見の眼鏡を手に取って「そしたら、親父はここで手術を見ろって言うんだ…十やそこらの子どもにだぜ…初めのうちは気持ちが悪くて仕方がなかったが…そのうち不思議なもんで…なれるどころか、手術を見るのが面白くなってきたんだ…」と言うと、診察台に腰を降ろしました。万二郎は「お前を医者にさせたかったんだ…」と言います。良庵は「今は、医者に成って良かったと思っている…親父に感謝してるよ…」と言いました。万二郎は「だったら…」と言います。良庵は、頷きながら「分かっている…俺が後を継がなければならない事は…でもな…俺みたいな男が、良仙の名を名乗ったら…親父の名を傷つけるんじゃないかって…」と言いました。万二郎も診察台に腰を降ろすと「覚えているか…東湖先生のお宅に行った帰り…あの時、お前は誓ったはずだ…日本一の医者に成るとな…」と言います。良庵は、笑みを浮かべて頷きました。そして「そっちもな…倒れかけた幕府の支えに成るって…辛いのは分かるが、もう、おせきさんの事は忘れろ…」と言いました。万二郎は小声で「忘れた…」と言うと、立ち上がり黙って診察室を出て行きました。良庵は、万二郎の後姿をじっと見つめていました。

 

 万二郎は道場で、真剣を振り稽古をしていました。

 良庵は、仏間で寝そべって本を見ていました。そこへ、おつねが帳面を持って遣って来ました。おつねは良庵の横に座ると、良庵の読んでいた本を取り上げながら「何よ、こんな好色本ばかり読んで…」と言います。良庵は言い訳するように「これは、親父が買ったやつだよ…言わば形見だ…読みながら、親父の思い出に浸っていたんだよ…」と言いました。おつねは「銚子の好いこと言って…見てこれ…」と言うと、良庵に帳面を差し出しました。良庵が黙っていると、おつねは「患者さんが目に見えて減っていっているわ…」と言います。良庵は、恨めしそうに「しょうがねいだろう…親父の馴染みの患者が来なくなるのは…」と言いました。おつねは、語気を強めて「あなたが確りしないから患者さんが逃げてゆくのよ…」と言いました。良庵も語気を強めて「そんな事言ったって…俺と親父じゃ格が違う…」と言うと、おつねの膝に寄りかかり、好色本を読み始めました。おつねは怒りだして、好色本を取り上げると「いいかげんにして…」と言います。良庵は、好色本を取り戻そうと「おいよこせ…」と言うのですが、おつねは渡そうとしませんでした。二人がもつれ合い、畳に折り重なって倒れた時、女中の「先生…」と呼ぶ声がして、障子が開きました。女中は、二人の姿を見て驚き、慌てて障子を閉めました。良庵は、しまったという表情で障子を見つめていました。

 

 診察室では、良庵が妊婦の診察をしていました。介添えには、おつねと女中がついていました。妊婦は生汗をかき苦しそうにしていました。側で立っている妊婦の夫は、心配そうな表情で、診察を見つめていました。良庵は、診察の手を休めると「これは…」と独り言を言います。おつねは、心配そうに良庵を見つめていました。そして小声で「如何したの…」と聞きます。良庵は、黙って立ち上がると診察室を出て行きました。おつねはそんな良庵を見て「ちょっと…」と言うと良庵を追い掛けました。妊婦の夫は、心配そうに立っていました。

 良庵は、別室に入って考えていると、後ろからおつねが遣って来て「何しているのよ…」と言います。良庵は、俯きながら「俺には無理だ…」と言います。おつねは「えっ…」と聞き返します。良庵は「つまり、とても難しい手術に成るんだ…俺には出来ない…」と言います。おつねは歩み寄って「じゃあ、如何するのよ…他の医者に診てもらえなんて言うつもり…あなたを頼って来たのよ…」と言います。その時、女中が来て「先生…患者さん苦しがっています…」と、泣きそうな顔で言うと、直ぐにまた、診察室に戻りました。おつねは良庵に「今から、他の処の医者に運べはしないわよ…自信持って…」と励まします。良庵が黙っていると、おつねは良庵の手を両手で握って「あなたしかいないんですよ…」と言いました。そこへ妊婦の夫が遣って来ました。夫は、力の無い声ですがるように「先生…」と言います。良庵は、夫の顔をじっと見つめていました。その時、良庵の脳裏に良仙の映像が映し出されていました。「病や怪我を治すだけが、医者の仕事ではない…患者や身内の気持ちを考えて遣る…これも医者の務めだ…医は仁術なりだ…」と…良庵は妊婦の夫に歩み寄り「ご主人…よく聞いて下さい…女将さんは…骨盤が小さすぎる…おまけにおなかの子は、人並み外れて大きい…あれを取り出すには、腹を切るしかない…」と言いました。夫は、驚いた表情で「腹を切る…」と聞き返しました。良庵は「薬で眠らせるから痛みは感じない…他に打つ手は無いんだ…このままじゃ、母子ともに危ない…すぐに手術をしなければ…」と言いました。夫は、一瞬考えたのですが、直ぐに「お願いします…助けて遣って下さい…」と言うと、深く頭を下げました。

 良庵は、診察室に戻っていました。良庵は、メスを手に取ると、じっと見つめていました。そして、手術を始めました。良庵の目は鋭くなり、手術に集中していました。

 

 良庵は、御縁に座り満月を眺めていました。そこへ、おつねが酒を持って来ました。良庵は、おつねの姿を見ると機嫌良さそうに「よよ、気がきくねぇ…」と言うと、盃を取りました。おつねも笑顔で「はい、どうぞ…」と言うと、良庵の盃に酒をつぎ始めました。良庵は、おつねの顔を見ながら「なんだい…やけに愛想がいいじゃないか…」と言います。そして、美味しそうに酒を飲みました。おつねは笑みを浮かべながら前を向いたまま「やれば出来るじゃないの…立派でした…」と言いました。良庵は、すました顔で「惚れなおしたか…」と聞きます。おつねは、笑いながら良庵の肩に寄り添いました。良庵は、満更ではない表情を浮かべましたが、直ぐにしみじみとした表情でポツリと「親父のおかげだ……親父が助けてくれた…」と言いました。おつねは、体を良庵に預けると耳元で「抱いていいのよ…あなた…」と言いました。良庵は月をじっと見つめていました。二人の後姿は、仲睦まじい姿でした。

 

 万延元年(1860年)十二月五日、丑久保陶兵衛が物影に隠れていました。その視線の先には、暗がりで護衛の武士に守られているヒュースケンがいました。護衛の武士が「刺客だ!」と叫ぶと、刀を抜き構えます。浪人たちがヒュースケンを目がけて斬り込んで来ました。護衛の武士たちは懸命に応戦します。その隙にヒュースケンは逃げようとするのですが、陶兵衛が立ちはだかります。陶兵衛は、ヒュースケンに視線を合わせると無表情に「死ね…」と言います。ヒュースケンは、後すざりしながら「待て…」と言いますが、陶兵衛は居合のように抜き打ちざまに胴払いで、ヒュースケンを斬り倒しました。膝まづいているヒュースケンの後ろから首に刀を置いて頸動脈を斬り、止めを刺しました。別の浪人が「遣ったぞ!…引け!…」と声をかけると、走り去る足音がしました。陶兵衛はヒュースケンの亡骸に視線を合わせながら、無表情で刀を鞘におさめると、歩いてゆっくりとその場を後にしました。

 

 万二郎は、自宅の御縁で俯きながら考え事をしていました。その後ろに良庵が立っていました。良庵は「万二郎…聞いたよ…ヒュースケンが殺されたって…」と言います。万二郎は俯いたままで「俺が付いていれば…こんな事にはならなかった…」と言います。良庵は御縁に座りながら「お前さんのせいじゃないよ…」と言います。万二郎は複雑な表情で「だが、その一方で…俺がヒュースケンを斬るべきだったとも思う…あの時、なぜ斬れなかったのか…」と言いました。良庵は「もしヒュースケンを斬っていたら…どうなっていたと思う…アメリカが黙っていないぞ…お前さんが腹を斬るぐらいじゃ済まなかったろうな…」と言いました。すると万二郎は、感情をむき出しにして、拳で御縁を叩き立ち上がり「そんな事は分かっている!…」と言いました。万二郎は庭に下りると歩きながら大声で「悔いてばかりの自分に腹が立つ!…」と言いました。そして、思いつめたように「だから…もう悔いは残さん…」と言いました。良庵は、じっと万二郎を見つめていました。

 

 万二郎は、林の中の斜面を急ぎ足で登っていました。その後ろから追うようにして良庵が付いて来ていました。良庵は万二郎に「やめておけ…万二郎!…いくらなんでも、それは無鉄砲と言うもんだ…下手すりゃ役人に追われるぞ…」と言います。万二郎は「覚悟の上だ!」と言います。万二郎は、板塀の前に着くと、防火水の横に置いてあった大きな桶に乗り板塀をよじ登って、中に入りました。良庵は、その後ろ姿を見ながら「あっ、まったく…しょうがねいな…」と言うと、同じように板塀を乗り越えて行きました。二人は木陰から覗きこんでいました。二人の視線の先には、法衣を着た尼僧たちが庭の掃除をしていました。数人の尼僧が立ち去り、一人の尼僧が残っていました。おせきでした。万二郎は、おせきに歩み寄ります。良庵は、その場でじっと見つめていました。

 良庵は、おせきの後ろから近づくと小声で「おせき殿…」と呼び掛けました。おせきは振り向くと、驚いた表情で「伊武谷様…」と言います。そして、視線を外して万二郎に背中を見せて「いけません…ここは男子禁制の場所…」と言います。万二郎は、歩み寄りながら「そんな事は分かっている…たとえどんな御咎めが有ろうと覚悟して来ました…おせき殿…一緒にここを出ましょう…あなたはこんなところで一生を終えてはいけない…」と言います。おせきは後ろを向いたまま「人が来ます!…」と言います。万二郎は語気を強めて「ヒュースケンが死にました!…」と言います。おせきは、ゆっくり振り返ると万二郎に視線を合わせます。万二郎は「…刺客に襲われて…あなたの仇は死にました…過ぎた事は忘れて、今一度遣り直すんです…私と一緒に…」と言います。おせきは「伊武谷様…違うのです…私がここへ参りましたのは…あの出来事があった為ではございません…」と言います。万二郎は「じゃ何故…」と言います。おせきは「定めです…」と答えました。良庵は「定め…」と聞き返しました。おせきは「住職の娘に生まれ…物心がついた時から、身近に仏様を感じておりました…何時かは、仏様にお仕えすることを望んでいたのです…病や無益な争いで、多くの人が無くなっています…その人たちの為に、仏様のお慈悲を祈りたいのです…それが、私の役目だと悟ったのです…」と…万二郎は、遮るようにして「嘘だ!…」と言いました。良庵は木陰から、二人の話をじっと聞いていました。万二郎は「あなたは、私の妻に成ってくれると言ってくれた…おせき殿、あなたは自分の身が汚されていると思っているんじゃないですか…だったら違う!あなたは以前のままだ!何も変わらない…ここを出ましょう…私が…あなたを幸せにする…命を掛けてあなたを守る…」と言いました。おせきは、目に涙を浮かべながら首を横に振ります。万二郎は「おせき殿!…」と呼び掛けます。おせきは振り返ると語気を強めて「伊武谷様…あなたの知るせきは、もう死んだのです…今の私は、御仏に仕える身…後生ですから…どうぞ…お帰り下さい…」と言うと、深く頭を下げて去って行きました。万二郎は、おせきの後姿をじっと見つめていました。おせきは、中門を潜り抜けると立ち止り、茫然としていました。良庵は、万二郎の所まで歩み寄ると黙って肩を握りました。おせきは、泣き崩れてしまいました。

 万二郎と良庵は、林の中の池の前に立っていました。良庵が「俺な…万二郎…良仙の名を継ぐことにしたぜ…」と言います。万二郎は腕を組、池を見ながら、息を吐き出すように「そうか…」と言います。そして、良庵の方を振り向いて「確りやれよ…良仙…」と言うと、一人で歩いて行きました。良庵は万二郎の寂しそうな後姿を見ると、黙って万二郎の後ろから付いて行きました。ここで、良庵改め良仙の声でナレーションが入ります。「木枯らしが、ひとしお身に沁みる万延元年の暮れだった…」と…

 ここで、第8回求婚と暗殺は終わりました。

 

 

 今回、万二郎は家禄が100石に昇進しました。万二郎が千三郎から家督を継いだ時は15表二人扶持だったので、わずか数年で大変な出世をした事に成ります。また、常陸府中藩は、親藩(水戸徳川家の分家)と言っても、二万石の小大名ですから、家禄が100石になるという事はたいしたものだと思います。この様な事は、太平の世であった江戸時代では稀な事だったと思います。ただ、幕末になると、世の中が動乱の渦に巻き込まれて、世襲だけでは重責を担う事の出来る人材が不足して、下級武士から才能のある人物を登用しなければならなかったという時代背景があったようです。(ただし、伊武谷万二郎と言う人物は、架空の人物で、作者の手塚治虫氏の幕末における理想の男性像を描いたものだと言われています。)

 今日初めて登場した勝麟太郎(海舟)も、幕末に大出世をした一人です。勝家は、旗本といっても、海舟が家督を継いだ時には41石の小普請組(無役)でした。最終的には400石となったのですが、軍艦奉行や海軍奉行、そして陸軍総裁と出世を重ね、徳川家の宰相となりました。その時の役高が5000石だったそうです。列座は、若年寄の次座です。つまり、職責だけで言えば、大名格になったという事です。

 役高とは、役職に対する給料です。勝家の家禄が400石なので、4600石を別途支給された事になります。ただし、役職についている間だけで、役職を辞めれば元の400石に戻ります。

 海舟は、大政奉還後、江戸城の無血開城を成し遂げ、明治維新に成ってからも新政府では、参議・海軍卿等の要職につき、華族(伯爵)に列せられました。しかし、徳川家の家臣として恩義を忘れずに、蟄居隠遁生活を送っていた十五代将軍徳川慶喜を天皇陛下に拝謁させ、徳川宗家とは別に、新たに徳川慶喜家を興して、公爵にした功労者です。

 

 良庵は、良仙の名を継ぐ事になりました。昔の日本では、この様な事はよくあったようです。代々当主が受け継ぐ名前というのが…先人の偉業を受け継ぎ、その名を汚さず発展させ、次代に引き継ぐという考え方なのでしょう。現代でも、歌舞伎や落語、相撲の世界では当たり前のように行われています。また、焼き物の窯元などでも行われているようです。

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