2012年3月29日木曜日

原発事故問題と『フロイス日本史』


原発事故問題と『フロイス日本史』



 読売新聞(2012328日 水曜日 朝刊)の文化欄に面白い記事を見つけました。まずはお読みください。



磯田道史の古今をちこち



罪作りなフロイス



 ルイス・フロイスも罪作りなことをしたものである。戦国時代の宣教師。信長・秀吉とも面識があり『フロイス日本史』を書いたが、天正1311月(15861月)の天正地震に関して、妙な地名を記したことから、現代人が大わらわになっている。

 彼は天正地震についてこう書いた。「関白殿(秀吉)が信長に仕えていた頃に居住していた長浜という城」の城下で「大地が割れ、家屋の半ばと多数の人が呑込(のみこ)まれ」た。「若狭の国(福井県)には海に沿って、やはり長浜と称する別の大きい町があった」「揺れ動いた後、海が荒れ立ち、高い山にも似た大波が、遠くから恐るべき(うな)りを発しながら猛烈な勢いで押し寄せてその町に襲いかかり、ほとんど痕跡を留めないまでに破壊してしまった」

 地震が起きた時、フロイスは島原半島(長崎県)の先っぽにいた。遠くの出来事を正確に書けなかったのかもしれない。若狭国に「長浜」という町はない。東京大学地震研究所編『新収日本地震史料』(198194年)は津波がきたという長浜は「高浜の誤りであろうか」とした。高浜には原発がある。高浜でなく小浜だったとしても大変だ。なにしろあの一帯は原発銀座。原発に大津波が来るという話だ。穏やかでない。電力会社は原子力安全・保安院に説明せざるを得なくなった。発電所を動かすのにも古典教養が要る時代になったらしく電力会社は琵琶湖沿岸の長浜に津波がきたという古文書を探し出し、フロイスのいう津波は滋賀県の長浜のことである可能性をにおわせる報告書を提出した。

 しかし原発の安全性を危惧する人たちは納得しない。京都の公家・吉田兼見(よしだかねみ)の日記に「丹後・若州・越州浦辺(丹後半島から福井県沿岸)、波を打ち上げ在家(ことごと)く押し流し、人死に数知れず」とあるではないかというのだ。

 さて原発を動かすにしろ止めるにしろ正確な情報が必要だ。私は日本中の古文書を沢山みている。何かの参考になるかも知れないから書いておく。

 私の見解をいおう。若狭に津波がきたかの議論は、実は17世紀のパリで一度結論が出されている。クラッセという宣教師の著述をもとに『日本教会史(日本西教史)』(1689年刊行)を編んだ。フロイスの地震記事を検証し加筆修正している。「千戸の人家ある長浜では人家の半を転覆、半は出火の為に焼滅しけり」「若狭の国内貿易の為に(しばしば)交通する海境に小市街あり。此処(ここ)は数日の間烈しく震動し、之に継ぐに海嘯(かいしょう)(津波)を以てし、激浪の為に地上の人家は皆な一掃して海中に流入し、(あたか)も元来無人の境の如く全市を乾浄したり」。若狭の港町に津波がきたと結論している。

 江戸の知識人たちは天正地震が津波を伴ったことを知っていたようだ。俗に秀吉の軍師といわれる竹中半兵衛の子が書いた『(とよ)(かがみ)』に「浦里などはさながら海へゆり入、犬鶏の類までも跡なくなり所々あり」とあり、これを読んでいた。江戸後期の幕臣宮崎(せい)(しん)のメモ『視聴草(みききぐさ)』にもこれが写されている。

 どうも17世紀中頃まで若狭敦賀の人々は津波の恐ろしい記憶を保持していたふしがある。1662年京都で大地震が起きた。そのとき敦賀の町人は「四海波がうちて、ただいま敦賀は底の水屑(みくず)になるぞや」と叫び一目散に逃げた。日本最初の地震ルポルタージュ文学・浅井(あさい)(りょう)()『かなめいし』にある話だ。

(日本史家)



 今まで、地震大国日本では、太平洋沿岸の巨大地震だけが着目され、地震予知の研究対象になってきた。昨年の東北地方の大震災をきっかけにして、日本海側の原発を抱える地域において、日本海側でも巨大津波が起きる可能性があるのではないかと言われ始めていた。

 巨大地震や巨大津波はいつも起きるわけではない。数十年周期・百年周期・数百年周期・千年周期、時空を飛び越えてやってくる。現代の情報社会において、関東大震災や神戸淡路大震災クラスの地震は記録や記憶はすぐに蘇ってくるが、千年に一度の大震災と言われる今度の大震災になると記憶はもちろんのこと記録もなかなか手に入らない。そこで、地震学者が古文書の世界に飛び込まなければならないという話なのである。

 日本海側で巨大津波が押し寄せる地震はあったのか、なかったのか…日本海側で原発を抱える地域の人は誰でも知りたいはずである。本来は原発を建設する前に調べて置くべき事なのであるが、電力会社は原発を造らんがための調査しかしてこなかった。電力会社は電力開発を自社の採算だけでしか捉えずに、安易に巨大地震があるわけがない、あっても現代の建築技術は完璧で原発事故にはつながらないと高をくくっていたのである。しかし、今度の東北大震災で原発事故は起きてしまった。心の緩みがそうさせたのか、もともと技術が達していなかったのかはわからないが…

 そこで歴史の巨人フロイスの記録が、時空を乗り越えて蘇って来たのである。長浜という地名が間違いであったのか、それとも琵琶湖で津波があったときに、日本海側の高浜でも巨大地震の影響で津波が起きたのかはわからないが、フロイスの書いた記録がデタラメのはずはない。また、著者は17世紀のパリで、クラッセという宣教師によって、フロイスの記録が加筆修正されているとも記している。また、日本国内においても、それなりの地位を持つ固有名詞を出して、巨大津波の存在を証明する古文書を紹介している。こうなると、日本海側にある原発の稼働問題にも複雑な影響をもたらすことに間違いないと思う。安全基準の再考は、間違いなく行われるべきである。

 ところで私は、この記事を読んで気付いたことがある。今度の大震災に置いて、原発事故の処理問題や救助活動や避難活動をするにあたって、計画の立案や指揮命令の記録が一切なされていなかったことは、管政権による歴史に対する犯罪行為に等しいものではなかったかと…この情報社会において、取るべき記録も取らずに、後世への正確な伝達をすることが出来なかったとは、実に情けないことである。万死に値する者であると思う。
by Kei

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