2012年3月26日月曜日

百済文化と古代日本と韓流時代劇


百済文化と古代日本と韓流時代劇



 読売新聞(2012324日 土曜日)の文化欄に次のような記事が掲載されていました。



シンポ「百済文化と古代日本」

「日本書紀」に基づき韓国研究者が報告


韓国の金銅半跏思惟像のスライドを前に討議する研究者
 古代朝鮮の百済と日本(倭)の文化交流をさぐるシンポジューム「百済文化と古代日本」が、福岡県太宰府市の九州国立博物館で開かれ、韓国の研究者3人が最新の研究成果を報告した。

 『日本書紀』によれば、日本は仏教をはじめ儒教、暦法といった先進文化を百済から輸入する一方、高句麗や新羅の圧迫を受ける百済への軍事支援を重ねた。韓国国立中央博物館の李炳(イビョン)()学芸研究官は、定林寺跡、王興寺跡など6世紀代の百済寺院跡の発掘調査成果を紹介、日本の飛鳥寺や四天王寺と、伽藍配置や瓦のタイプが類似していることを指摘した。

 同博物館の閔丙贊(ミンビョンチャン)展示課長は、同館蔵の金銅半跏思(はんかし)()像と、京都・広隆寺の木造半跏思惟像が酷似していることから、朝鮮半島から渡来した可能性を示唆した。

 国立全州博物館の金鍾萬(キムチョンマン)学芸研究室長は、丹芝里(タンジリ)古墳群など錦江流域に分布する5世紀後半の横穴墓群について、副葬品に日本系の須恵器があることを指摘、479年に日本から帰国した末多王(東城王)の護衛として、「筑紫国軍士五百人」が渡海したとある雄略紀の記事を挙げ、「これらの横穴墓は彼らの墓ではないか」とした。

 かつて韓国では史書として扱われなかった『日本書紀』に基づく議論が行われたのは、近年著しい日韓の研究者交流の成果というべきだろう。九博では将来、百済文化をテーマにした特別展も計画している。

(池田和正)





 記事にも書いてありますが、かつて韓国は『日本書紀』を史書として認めていませんでした。これは、日本によって植民地にされたことや、韓国人のプライドの高さが原因で、歴史を政治に利用したことは否めません。私の学生時代には、朝鮮半島には高句麗・百済・新羅・任那の四つの国があったと習ったのですが、いつの間にか任那が教科書から消えてしまい、伽耶という地名が浮かび上がった時代もありました。そこで、私は専門家ではないので、ちょっと違った観点から気付いたことを書いてみたいと思います。

 最近韓流ブームで、私はよく韓流時代劇を見るのですが、ソドンヨというドラマがあります。ソドンヨとは、新羅に伝わる詩歌「薯童謠」にまつわる薯童<ソドン>と善花<ソンファ>の伝説をモチーフにして、三国時代の百済を舞台に描いた物語です。韓国の時代劇は歴史に忠実ではないとよく聞きますので、当てにはならないかもしれませんが、その時代の雰囲気はわかったような気がします。

 この物語の中で、百済の政変によって、百済の皇太子が倭国に預けられたり、皇太子が政変に勝ち残るために、倭国の太子(聖徳太子)の協力を得ようとする台詞が出てきたりします。私は時代が変わったなという印象を受けました。以前なら徹底的に日本を悪者にしなければ気が済まなかった韓国ですが、台詞だけとはいえ、味方として登場させていました。また、このドラマを見て、百済という国は科学技術や文化を大切にする国として描かれていました。鉄器や仏像などの鋳造、紙や稲作のための土木工事など軍事力というよりは、科学技術で国を支えているようにえがかれていました。

 また、時代は少し下るのですが、三韓統一した後の新羅を舞台にした『海神』というドラマでは、奴隷として唐に売られた主人公が、苦労に苦労を重ねて商人となり、新羅に戻ってきて、倭国と新羅の新海路見つけて、倭国・新羅・唐との間の中継貿易をする話なのですが、ここでも台詞だけとはいえ、倭国を肯定的に描いています。そして、中継貿易を盛んにするために海賊討伐をするのですが、韓国で海賊といえば倭寇がお決まりのコースなのですが、ここでは新羅の商人が海賊として描かれていました。

 日本では今、民放のBS局が増えたり、CS放送やパソコンの無料動画サイトが出来たりして、番組が不足しているのか、韓流ブームに乗って韓国から沢山のドラマが輸入されているので、日本人に鑑賞可能なドラマを制作している向きもあるのでしょうが、当然韓国国内でも放送されているわけですから、面白い現象が知らず知らずに行われているのかもしれません。

 また、高句麗末期を描いた『ヨンゲソム』というドラマでは、盛んに天孫という単語が出てきます。神話のようですが、私は日本の天孫降臨を連想して仕方ありませんでした。また、高句麗と百済は同族だが、新羅は別の民族だという台詞もありました。

 こうして見ると、この時代が現代にも負けないグローバルな時代だった事がよく分かります。韓国にはこの時代の史書があまり無いようにも聞いています。この時代の歴史を解明するためにも中国の史書や日本書紀を使って韓国の研究者が研究することはいいことだと思います。そして、学問を政治の道具にしないためにも、今の韓流ブームが役立っているような気がします。

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