「大地の子」の再放送を見て思うこと
NHKBSのアンコールドラマ「大地の子」を録画で一気に見た。二十年前の作品とは思えない感動がよみがえってきた。さすがにモンテカルロ国際テレビ祭で最優秀作品賞を受賞し、国内では、平成七年度芸術作品賞を受賞しただけあって、日本にも中国にも偏らず、人間のすべての感情(恨み・妬み・差別・良心・親子隣人への愛情…)が描かれていたように思う。戦争とは惨いものだな、終わった後もこれだけの悲劇を残すのかと今更ながら感じた。しかし、二十年前に見た、断片的な記憶の映像と、いま視覚で捉えた映像が重なった時に、時代の世情の違いも感じ取った。途上国で援助を必要としていた中国が、改革開放で経済大国となり、尖閣諸島や南沙諸島では脅威となっている…韓国をも含めて、反日的思想にどのように対応すべきかと…
原作者の山崎豊子さんが亡くなられて二年が過ぎ、今年(2015年)は、日本中が安全保障問題に明け暮れ、嫌韓・嫌中がはびこった。これはNHKの確信的再放送だったのかも知れない。もう一度冷静になって、戦争の悲惨さや戦前戦後の日本人の贖罪について考えるべきではという…ならば、BSではなく地上波で再放送すべきではなかったかとも思う。
聖書(マテオ第7章3節―5節)には次のように書いてある。
「なぜ、兄弟の目にあるわらくずをみて、自分の目にある梁に気をとめないのか。また、自分の目に梁があるのに、なぜ、兄弟にむかって、あなたの目のわらくずを取らせてくれといえるのか。偽善者よ、まず、自分の目から梁をとり去るがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目のわらくずも取ることができよう。」
しかし、これを実行することは、非常に難しいことのように思う。人と人との間では、まだできるかもしれない。失敗すれば自己責任で済むから…けれど、国と国との間では、誰が責任を取るのか。それは政府に決まっている。しかし政府は、国民の利益と安全を一番に考えなければならない。よって、確率の低いものに、国民の利益と安全を掛けることができない。国は奇跡を待ち望んではいけないということだ。ただ、政府を率いる者の心の片隅で、自国の目に梁があることを認識していれば、よりましな行動が取れるのかも知れない。
戦後七十年、日中・日韓、それぞれに言い分はあると思う。どこかで妥協をしなければ関係改善は築けない。それとは別に、学者の歴史の真実の追及に、政治が圧力を掛けるべきではない。この問題は複雑で、なかなか解答が出ないように思う。ただ、毅然とした対応が必要だとも思う。事実の歪曲によって、偽りの歴史が定着するからである。
ところで、陸一心役の上川隆也さん、実父松本耕次役の仲代達也さん、お二人とも若いですね…特に新人で主役に抜擢された上川さんの姿を見ると、当時、あの人は誰と世間が騒いだことを思い出しました。そして、名前の代わりに「大地の子」と呼ばれていました。物語のラスト近くで、製鉄所が完成し、二人だけで記念の三峡川下りの旅に出た時に、船上で実父が思い悩んで「日本に帰ってこないか…」と言うと、一心は、無償の愛で育ててくれた養父母の想いを捨てることができずに、涙を浮かべながら「私は大地の子です…」と言って中国残留を決意したシーンが、あまりにも感動的だったからかもしれません。この作品の好演によって、上川さんはスターへの階段を登られて行ったように思います。
仲代さんは言うまでもなく、当時すでに大スターでしたが、年月が流れ、今年、文化勲章を受章されました。親授式をテレビのニュースで拝見していたら、お姿が見えずに不思議に思っていたら、芝居の公演と重なって欠席されたとのことでした。役者の世界は、親の死に目にも会えない世界だとは聞いていましたが、栄えある日に、一役者として、地方の舞台に上がるというのも凄いですね…役者としての生き様を見たような気がしました。
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