2011年12月8日木曜日

今日は針供養…母との思い出が蘇りました


 
 夕方のニュースで、地元の香蘭ファッションデザイン専門学校の針供養の映像が映し出されていました。今日128日は、針供養の日だそうです。私の脳裏には、幼い日の祖母と母の映像が浮かんできました。お豆腐に針を刺し、この一年間に使えなくなった針に感謝して、供養するのよと言っていた姿が蘇りました。

 祖父が若くして亡くなり、祖母は父たち子ども四人を和服の仕立物をして育て上げたそうです。父は、祖母の知り合いの裁縫の先生の紹介で、見合いをして結婚したそうです。「裁縫ができると祖母とも話が合うだろう」という理由からだったそうです。

 祖母は、体が衰えるまで裁縫の仕事をしていました。母はそのお手伝いを…新品の反物を縫う事も有りましたが、一度縫った着物を解いて縫いなおす事も有りました。そんな時は、晴れた日に、庭でシイシバリ(布地をひごの先に針を付けたもので張って、のり付けをすること)をよくしていました。

 母は、祖母が亡くなるとしばらくの間は、頼まれると和服を縫っていましたが、何時のころからか、あまり縫わなくなりました。しかし、季節の変わり目には、いろいろと家庭の針仕事をしていました。特に夏場は、蒲団のカバーを縫ったり、冬の綿入り丹前を縫ったり…私はそんな母の姿を見てすごいなと思っていました。

 そのうち私が成長して、学校で家庭科の授業を受けるようになると、きまって母が縫ってくれました。「あなたは縫い方をよく聞いて来なさい。今と昔の縫い方は違うから…どうせみんな、親に縫ってもらうのだから…」と言って…

 母方の祖母は、母が小学校の時に無くなったそうで、母は女学校の時に苦労したそうです。一生懸命に頑張って縫っていると、ある日突然、自分よりずっと遅れていた人が縫いあげていたそうです。母は、親から縫ってもらったんだろうと言っていました。「あなたにはそんな苦労はさせたくないから…」と言っていました。おかげ様で私は、小学校から短大まで、裁縫は全て母のおかげで点数をもらいました。母曰く「へたくそに縫うのが難しかった…」そうです。

 昨年の三月に母が亡くなり、いろいろと整理をしていたら、押入れの奥から、母が縫った最後の綿入り丹前を偶然に見つけ出しました。消して立派な布地ではありませんが、母の温もりが伝わって来ました。母の最後の作品、今は大事に保管しています。

 そして、母の書類箱から、見覚えのある小さなノートを見つけました。中には几帳面な母の字で、和服の仕立て方が書いてありました。たぶん、仲人さんの和裁の先生のもとで勉強した時の物だと思います。大切に保管しなければと思っています。

 今日は針供養の日です。母との思い出が蘇りました。私には、母の裁縫の遺伝子は、受け継がれていないようですが、心だけは受け継いで生きたいと思っています。


追記

 今日の読売新聞の夕刊(2011.12.8)に、次のような記事が載っていました。

年の瀬 感謝のひと刺し

 授業で使った針に感謝し、技術の向上を願う針供養が8日、福岡市中央区の香蘭ファッションデザイン専門学校で行われ、約190人の学生が使い終えた約1500本の針に手を合わせた。
 学校の多目的ホールには祭壇が設けられ、和服姿の代表6人が1年間の授業で折れたり、曲がったりした針を一本ずつ豆腐に刺し=写真、泉祥平撮影=、敷地内の穴に埋めて供養した。

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