2012年8月23日木曜日

NHKドラマ「陽だまりの樹」第5回父の仇を見ました



 冒頭、映像は回想のシーンが流れています。そして、良庵の声でナレーションが流れます。「万二郎は、老中阿倍正弘に認められ、アメリカ使節団の警護役に着いた。そして、外国の文化に触れた万二郎は、世界に目を向けるようになる。…そんなおり、江戸から父の訃報が届いた。」と…

 ここで、「陽だまりの樹」第五回、父の仇の字幕スーパーが出ます。



 万二郎は自宅へ帰って来た。座敷には、父の亡骸が寝かされていた。顔には白い布が被せられ、布団を被せた体の上には、父の刀が乗せられていた。おとねが万二郎の顔を見ると「万二郎…」と言います。そこには良仙も控えていました。万二郎は、茫然とした表情で、父の遺体の側に座り、父の顔に被せていた白い布を取りました。千三郎は安らかな死に顔をしていました。万二郎は「父上…」と言います。横にいたおとねが、すすり泣くような声で「突然だったんです…」と言います。万二郎は、おとねに「何の病だったんです…」と尋ねます。側に控えていた良庵が、神妙な表情で「卒中じゃ…」と答えました。するとおとねは「良仙先生が、父上が亡くなられた時御一緒で…」と言います。良仙は、押し殺したような声で「お父上は、誤って川に落ちなさった…神田川の橋の上からじゃ…面目ない…」と言うと、一礼をしました。そして「わしがもっと、お父上に気を使っておれば…じゃが二人とも酔っておってな…川にはまった途端に、お父上は発作を起こして…川から引き揚げた時には、もう手遅れじゃった…」と言いました。






 万二郎は、悲しそうな表情で「酔っぱらって川かへ落ちたと…そういう事ですか…何という惨めな最後だ…」と言います。おとねは、俯きながら泣き声で「万二郎…人には天命という物があります。父上を攻めるでありません…」と言います。万二郎は、語気を少し強めて「しかし、父上は武士としての誇りを持ち、忠義を忘れずに、誠実に生きて来た人です。それが…何も報われず、こんな死に方を…」と言いました。おとねは「もう言わないでください…私とて堪らないのを堪えているのですから…」と言います。万二郎とおとねの目からは、止めどもなく涙が零れ落ちていました。万二郎の脳裏には、千三郎の「わしは、お前という倅を持って、誇りに思うぞ…」という映像が浮かんでいました。そして「父上、父上…父上…」というと泣き崩れてしまいました。良仙は、そんな二人の様子を見て、憮然とした表情を浮かべていました。何か、何か秘密が隠されているようでした。







 大阪では、良庵が浮かれた様子で鼻歌を歌いながら、まだ明けきれぬ誰もいない花街を歩いていました。今日もまた、朝帰りをしていました。鼻歌が終わると、羽織を頭から被せて「嬉しいね…」と言います。良庵は、相変わらず女色という病気に侵されていました。



 良庵は、適塾の塾生の部屋に帰ると寝ころびました。そこには、机の前に座って本を読んでいる福沢諭吉の姿がありました。福沢は良庵に「また朝帰りか…」と言います。良庵は、ニヤニヤ笑いながら「帰らしてくれないんだよ…いろ男は辛いね…」と言いました。福沢は、本を読みながら表情も変えずに「行かなくてもいいのか…」と言います。良庵は、福沢が何を言っているのか分からずに「ええ…何処に…」と聞き返しました。福沢は、呆れたように「腑開けだよ…みんな出かけたぞ…」と言いました。良庵の表情が見る見るうちに変わって「しまった…忘れてた…」と言うと、部屋を慌てて飛び出して行きました。




 良庵は、洪庵の書斎に呼び出されていました。良庵は、両手を付いて上目使いにおどおどした表情で「破門ですか…」と尋ねました。洪庵は本を読みながら「君には、愛想が尽きた…」と言います。良庵は「そんな…先生、どうかお許しください…」と言うと、両手を付いて、深く低頭しました。そして「心を入れ替えて、勉学に励みます…金輪際女遊びなど致しません…どうか、どうか、お願いします…」と言いました。



 洪庵は向き直って、低頭している良庵を見ながら「好かろう…今一度機会を与えよう…」と言うと、良庵の目の前に大量の本を置きました。そして「これは、わしが十五年前に訳したフーフェラントの内科学を…これを一月だけ君に貸そう…一月の間に、これらの本すべて、そらで覚えるのだ…一月立ってわしが問い質すが、すべて答える事が出来たら許そう…」と言いました。良庵は、大量の本を前にして、自身がないのか眉間にしわを寄せて「これをすべて…」と言います。洪庵は、良庵を見つめながら「最後の機会だぞ…精進したまえ…」と言うと、立ち上がって書斎を出て行きました。良庵は真剣な顔で「はい…」と言うと、両手を付いて、深く低頭しました。




 江戸では、善福寺の境内で万二郎とおせきが会っていました。万二郎はおせきに深々と頭を下げながら「葬式は無事に終わりました。ありがとうございました…」と言います。おせきは「お力落としになりませんように…」と言うと、万二郎に頭を下げました。万二郎は「もう大丈夫です…くよくよしても仕方ないので…」と言います。おせきは「下田にいらっしゃるとお聞きしましたが…」と尋ねます。万二郎は「はい…アメリカ人の警護をやってます…」と答えました。おせきは、驚いた表情で「アメリカ人の…」と聞き返しました。万二郎は「初めは嫌で堪らなかったんですが、話して見ると意外と面白い連中で…学ぶところがいろいろとありました。」と答えました。そして、何か思い出したように「あっ、そうです…」と言うと、境内に落ちていた枝切れを拾って、地面に世界地図を書き始めました。



 おせきは、万二郎の描いている地図を不思議そうに見ながら近寄って行きました。万二郎は「例えば、これがアメリカとします。すると日本は…」と言うと、少し離れたところに立っているおせきの足元を線で囲み始めました。おせきは、不思議そうに万二郎の描く線を見ていました。万二郎は、おせきに「これです…」と言います。おせきは、驚いた表情で「あっ、こんなに小さいんですか…」と尋ねました。万二郎は、少し語気を強めて「そうです。こんな小さな国で攘夷などと叫んでいても意味がない…外国がその気になって攻めてきたら、ひとたまりもありません…」と答えました。おせきは心配そうな表情で「戦に成るんですか…」と尋ねました。万二郎は「そうならないよう、敵をまず知ることが大事なんです…新しい知識や技を学び、国の力を付ける…そうすれば、外国もそう容易く攻めて来られないでしょう…」と答えました。おせきが黙って聞いていると、万二郎は「こんな話、つまらないですか…」と尋ねます。おせきは「いいえ…伊武谷様は、しばらくお会いしないうちに変わられましたね…」と答えました。万二郎は、おせきを見つめながら「えっ、そうですか…」と言います。おせきは万二郎に近ずくと俯きかげんに「うまく言えませんが、伊武谷様が以前より大きく見えます…」と答えました。万二郎は、その言葉が嬉しくてニッコリと笑いました。




 大阪の適塾では、塾生部屋で福沢諭吉と良庵が、机を挟んで向かい合って座っていました。良庵が頭を抱えて考えていると、福沢は本を見ながら良庵に「おい!その程度で、大きな人間にはなれんぞ…」と声を掛けました。良庵は、困った表情で「いや、面目ない…」と言います。福沢が良庵に本を差し出すと、良庵は溜息をしながら受け取りました。そして「しかし、福沢は教えるのがうまいな…」と言います。福沢は、微笑みながら「人に物を教えるというのは、なかなか楽しいものだ…」と言います。良庵は福沢に「塾でも開いたらどうだ…お前が先生なら流行りそうだ…」と言います。福沢は、まんざらでもない表情で「まっ、いずれな…」と答えると、立ち上がって部屋を出て行きました。




 江戸の良仙の屋敷では、良仙が万二郎に「わざわざ呼び出してすまんな……此間は、お父上は、川に落ちたと言ったが…実はな…刺客に襲われたのだ…」と言いました。万二郎は、良仙の顔を見つめながら「刺客…」と言います。その時の映像が流れ始めます。良仙は「うん」と言いながら頷くと「お父上と一杯やった帰り道じゃった…神田川の辺に差し掛かった時、わしを狙って侍が、抜き打ちに襲って来たのじゃ…」と言いました。



 千三郎が、良庵をかばいながら「無礼者!」と叫びました。千三郎は「ごめん…」と言うと、良仙を守る為に川に突き落としました。そして剣を抜かずに、刺客ともみ合いになりました。良仙は「お父上は、刺客をわしから引き離そうとして…その時、足を滑らせた…」と説明しました。映像では、橋の上から千三郎が落ちた水音で、近くの誰かの「おい、誰かが落ちたぞ…」という声が聞こえました。刺客達は、慌ててその場から立ち去りました。




 次の映像では、良仙が千三郎を川から引き揚げて脈診をしている様子が映し出されています。良仙は、懸命に千三郎に声を掛けるのですが、反応がありませんでした。良仙は悔しそうな表情をして天を仰ぎました。


 また、良仙の屋敷で万二郎に説明している映像が映し出されました。

 良仙は「川底から、鞘に収まったままの刀が見つかった…もしわしが刺客に襲われたと言ったならば、お父上は刀を抜かずに川に飛び込んで逃げたと思われる…それではお父上の面目が立たん…いや、それどころか、藩の厳しいおとがめを受け、悪くすれば伊武谷家の家禄目仕上げともなりかねん…それゆえ、刺客の事は一切無い事にしたんじゃ…お父上がおられなければ、わしゃ間違いなく斬られておった…命の恩人じゃ…」と言います。万二郎は、良仙の目をじっと見つめながら「その刺客は、何者です…」と尋ねました。良仙は「証拠はないが、おそらく奥医師どもが射し向けた男共だろう…人相は覚えとらんのだが…ただな…」と言うと、万二郎ににじり寄って、自分の右頬に指を指して「ここに刀傷があった…」と言いました。その時、刺客に襲われた時の映像が流れて、楠音次郎が「手塚良仙…天誅を下す…」と言いました。


 万二郎は、何か思い出したように「刀傷…」と言いました。万二郎の脳裏には、おせきが襲われた時の様子が浮かび上がっていました。万二郎が「何をしている…」と言うと、頬に傷のある音次郎が、万二郎を睨みつける姿が…万二郎は、思い直したように、良仙に対して、畳に両手を付いて深く低頭しました。良仙も万二郎に合わせて、深く低頭しました。




 万二郎は、千三郎が落ちた川の辺に来て、川を眺めていました。そして「父上…必ず敵は取ります…」と言いました。



 一ヶ月後、大阪の適塾では、洪庵が良庵に対して、口頭試験をしていました。良庵は答えを暗唱していました。「彼が過ちをあげるは小人の凶徳なり、人はただ一丁の過ちを擬せられて、己、生涯の徳を積む…その特質いかんぞや…」と言います。洪庵は、目を瞑って黙って聞いていました。そして「治療の小異は…」と尋ねます。良庵は「かいどうなからん事を要す、動機は三人に告ぐべき、事によくその人を選ぶべし…ただひたすら病者の安全を意として、恥を顧みず、決して争議に及ぶことなかれ…」と答えました。洪庵は、腕組みをして、良庵の顔を見つめながら「宜しい…よくそこまで学んだ…」と言いました。良庵は、両手を付いて低頭しながら「はっ…」と言います。洪庵は「このフーフェラントの遺誡は、貴君の一生の座右の銘となるだろう…」と言いました。良庵は、低頭しながら「では、私の破門の事は…」と聞きます。洪庵は「許す…」と答えました。良庵は「ありがとうございます。」と言うと、さらに深く低頭しました。





 洪庵は、立ち上がると「見せたいものがある…」と言いながら、文机の上に置いてあった手紙を取り「君のお父上から、昨日わしに届いた文だ…」と言います。良庵は、顔を上げて洪庵を見上げると「父から…」と言います。良庵が立ち上がり洪庵に歩み寄ると、洪庵は「種痘所の開設に向けて話しが進んでいるが、君を江戸に帰すように願いたいと書いてある…すぐに江戸に帰り、お父上を助けなさい…」と言うと、手紙を良庵の手に握らせました。良庵は「先生…」と言います。洪庵は、優しい眼差しで良庵を見つめながら「それが国の為、人の為の道だ…」と諭しました。良庵は、洪庵をじっと見つめながら「はい…」と答えました。



 ここで良庵の声でナレーションが入ります。「それから間もなく、緒方洪庵先生の教えを胸に刻み、私は大阪を後にした…

 江戸に帰る道中の映像が映し出されました。良庵が街道を歩いていると、夫婦と娘らしき旅人が茶店の縁台に座って休息をしていました。良庵は、その娘に気が取られました。いったんは通り過ぎたのですが、また女色の病が置き始めたようで、茶店に戻って行きました。



 茶店の親父が「いらっしゃいまし…」と言うと、良庵は「茶をくれ…」と言います。親父は威勢よく「へい」と答えました。良庵は、背中の荷物を降ろしながら、父親らしき男に愛想よくお辞儀をして、娘の横に座りました。良庵は「どちらに行かれるのですか…」と聞きます。父親は「江戸です…」と答えました。良庵は、愛想良く「ああ、そうですか…私も江戸に帰るところです…」と言いました。父親は、笑顔で「そうですか」と言うと、手にしていた煙管でタバコをふかしました。良庵は、そんな父親を見て、何か思い出したように、荷物から箱を取り出して「あっ、そうだ…これ、オランダのタバコでシガーと言うんですが、好かったろどうぞ…」と言うと、葉巻を一本取り出して、父親に渡しました。父親は「これはかたじけない…」と言うと、葉巻を見ながら「へー、オランダですか…」と嬉しそうに言いました。良庵は「ええ…」と相槌を打ちました。そして「今夜は、大津にでもお泊りですか…」と聞きました。母親が「ええ…」と答えました。



 良庵は旅館の風呂からあがると、肩に手ぬぐいを掛けて縁側を歩いていました。縁側には、風呂上がりに涼んでいる娘が座っていました。娘の名はおつね、街道沿いの茶店で出会った娘でした。良庵はおつねに「好い湯でしたな…」と話しかけます。おつねの顔に緊張が走りました。良庵は「江戸は初めてですか…」と聞きます。おつねは、少し微笑みながら「はい…」と答えました。良庵は「にぎやかなとこですよ、江戸は…芝居はお好きですか…」と聞きます。おつねは、良庵の顔を見ながら「えっ…」と答えました。良庵は「ああ、なら是非御覧なった方がいい…江戸の芝居は粋ですぜ…」と言います。そして、芝居の台詞を語り始めました。「もしや追手もいたなどとは、一目見つつの川岸を……」と…これは良庵の計算づくでした。いつの間にか良庵の手が、おつねの手に重なっていました。良庵は、おつねの顔を見ながら手を握りしめます。おつねも満更ではない様子でした。おつねは、良庵にもたれかかります。





 常陸府中藩の江戸藩邸では、裃を付けた万二郎が両手を付いて深く低頭していました。上司は万二郎に「この度、精勤につき、高五十石の御加増申しつけるものなり…」と、辞令を読みあげ、その書面を万二郎の方に向けて見せました。万二郎は、大きな声で「ははは…」と返事をしました。この時、良庵の声でナレーションが入ります。「その日、万二郎は常陸府中藩から突然、五十石加増の沙汰を受けた…」と…

 万二郎の自宅では、五十石御加増の書面をおとねの手によって、仏前に供えられました。万二郎もおとねの後ろで合掌をしていました。おとねは位牌に向かって笑顔で「あなた、万二郎を褒めてやってください…」と言います。そして、後ろの万二郎に「父上の喜ぶ顔が目に浮かぶようですね…以前、父上は仰っていましたね…お前と言う倅を持って、誇りに思うと…」と言いました。万二郎は、千三郎の位牌を見ながら「はい…」と答えました。おとねは「この母にも、同じ事を言わせて下さい…」と言うと、万二郎の方を振り向いて「お前を産んだ事は、私の誇りです…」と言いました。万二郎は、澄んだ瞳でおとねを見つめながら「母上…」と言います。おとねは「これからも精進して、お役目を全うしてくださいね…」と言います。万二郎は、静かに「はい」と言いました。



 万二郎の家に良仙が訪ねていました。良仙は、話しにくい表情で「万二郎さん、実は…いや…誠におこがましいんじゃが…万二郎さんに折り入って頼みたい事があるんじゃが…」と切り出しました。万二郎は、良庵の目を見ながら「何でしょうか…」と尋ねました。良庵が「わしら蘭方医が、江戸に種痘所を作ろうとしている事は御存じじゃったな…」と言うと、万二郎は「はい」と答えました。良仙は「あんたは、御老中の御信望が厚いと聞いておる…」と言うと、用意してきた包みを開けながら「これは、種痘所設立の嘆願書じゃ…これを御老中に、直に手渡してもらいたいんじゃ…今まで、幾度となく陳情したのじゃが、その度に奥医師どもに邪魔されての…すべて、もみ消されてしまうんじゃ…」と言いました。万二郎は「わかりました…」と言うと、手を差し伸べて良仙から嘆願書を受け取りました。そして「私にとって奥医師達は、父の仇も同然…必ず渡します…父の供養にもなるでしょう…」と答えました。



 安政四年五月。良庵は三百坂に戻って来ました。良庵は、江戸市中の景色を見ながら「二年ぶりか…変わらねいな…」と言います。その顔からは、笑みがもれていました。そして「早駆!…」と言うと、大きな荷物を担ぎながら、いきなり走り出しました。

 良庵は、屋敷に着くと「只今戻りました…」と言います。良庵の声を聞きつけたおなかが、家の中を走って玄関に向かいました。そして「良庵!」と言うと、良庵の胸に飛びついて、笑いながら良庵を抱き締めました。良庵は、照れくさそうに「ああ…母上…」と言います。お中は、笑顔で良庵の肩を叩きながら「大きくなって…」と言います。良庵は「大きさは変わりませんよ…」と言いました。

 良庵は、仏間で荷物を開けると、おなかに土産を渡していました。おなかは嬉しそうに「まあ、好物をよく覚えていてくれたね…」と言うと、箱の蓋を開けてお菓子を食べ始めました。良庵が「父上は…」と聞くと、おなかは「うん…あっ、人を迎えに行っているよ…紀州の中村様って方、御存じかい…」と言いました。良庵は「あっ、確か父上の遠縁に当たる人ですね…」と言います。お中は「その方がね、娘さんを連れて家にみえるんだよ…」と、嬉しそうに笑顔で言いました。そして「先方から、お前の嫁にどうかって言うお話があってね…」と…良庵は、思わず驚いて「えー!…オレに…冗談じゃない…勝手に決めないでよ…」と言いました。おなかは、嬉しそうに笑いながら「まだ、決めた訳じゃないけど…会うだけ会ってみなさいよ…ね…好いお話だと思うから…」と言いました。おなかが立ち上がろうとすると、良庵は不機嫌そうに、荷物から洗濯物を取り出しておなかに渡しました。おなかは洗濯物を受け取ると、そのまま部屋を出て行きました。良庵は、ふくれ面をしながら「ちぇ!…帰って早々見合いっていうわけか…」と言いました。

 その時、玄関の方から「さあさあさあ、遠慮のうお入り下され…おーい、おなか…」という、良仙の声が聞こえて来ました。おなかが「はい…」と答えました。良庵が緊張していると、おなかが部屋に来て「お見えになったよ…」と、笑顔で言いました。おなかは直ぐに玄関へ向かいます。そして「ようこそお越し下さいました…」と言いました。良庵は、ふて腐れた表情で、玄関の方を覗いていました。

 良仙は「さあ…さあさあ…いやー、長旅ご苦労じゃったな…おつね殿も旅先で変わった事は無かったかな…」と言います。おつねは笑顔で「はい…素敵な旅でございました…」と答えました。良仙は「あそうか、それはよかった…」と、良庵の嫁に決まったかのように、嬉しそうに言いました。その様子を覗いていた良庵の顔が、次第に驚きの表情に変わって行きました。良庵は「そんな馬鹿な…どうしよう…」と言います。おつねは、江戸に帰る途中に街道の茶店で出会った娘でした。

 良仙は、自ら嬉しそうに、おつね親子を仏間に案内しました。仏間には良庵はいなく、荷物だけが広げたまま置かれていました。良仙は良庵を探しながら「良庵…良庵…」と呼ぶのですが、良庵は出て来ませんでした。おなかが「あれ、今さっきまでいたんですよ…」と言います。良仙は、中村に「さあさあ、どうぞ、どうぞと座るように勧めました。そして良仙は「相変わらず、腰の座らぬ男じゃ…」と言います。おなかが不思議そうに部屋を見回していると、押入れの襖からはみ出している着物の裾を見つけました。おなかが押入れを開けると、押入れから良庵が転げ出て来ました。おなかは、仰向けに倒れている良庵を見て「何しているの…」と言います。すると中村が良庵の顔を見て、驚いたように「ほう…あんた…」と言います。良庵は気まずそうな顔をしていたのですが、作り笑いをしながら「どうも…」と言いました。



 良庵と万二郎は、万二郎の家の縁側で酒を飲んでいました。万二郎が驚いたように「見合い…」と言います。良庵は、ため息交じりに「ああ…親父が勝手に遠縁の娘を呼んできてな…親同士で勝手に話しを決めやがった…」と言うと、手に持っていた盃を飲み干しました。万二郎は「いやなら断ればよい…」と言います。良庵は「それが出来たら苦労はしないよ…」と悔やみました。万二郎は「どうして出来ない…」と聞きます。良庵は、どうしようもないという表情で「手を出しちまったんだ…」と言うと反対の方を向きました。万二郎は、思わず酒を噴き出してしまいました。万二郎は、少しムカついた顔付で「何…」と言うと、良庵を睨みつけました。

 良庵は、自分の馬鹿さかげんと気恥ずかしさで、万二郎と視線を合わせる事が出来ずに立ち上がり、庭を二三歩歩きました。そして「江戸に戻る途中、たまたま宿場が一緒になってな、つい出来心で…行きずりの女になるはずが…」と言いました。万二郎は、呆れたように「見合い相手だったってわけなのか…」と言います。良庵は、投げやりの表情で、語気を強めて「ああ!…」と言いました。万二郎は、縁側で一人酒を飲みながら笑い出しました。そして「悪業の報いだ…」と言います。良庵は、諦めきれない表情で「おせきさんと一緒になるはずが、どうしてこんな事に…」と悔やみます。万二郎は、一人手酌で酒を飲みながら、ニヤニヤ笑っていました。

 良庵は、振り向いて万二郎を見ると「おい…どうだった…」と尋ねます。万二郎が「何が…」と聞き返すと、良庵は「おせきさんだよ…口説き落としたか…まだ者にしてないのか…それでも男か…」と言います。万二郎は良庵の目を見ながら「何を言っている…お前との約束を守っていたんじゃないか…」と言いました。良庵は、いぶかしい表情で「約束…オレが帰るまで、おせきさんには手を出さないて言うあれか…」と言います。万二郎は、真剣な表情で「そうだ…」と答えました。良庵は、開き直ったように笑いながら「そんな約束、律儀に守るバカはいるか…」と言い捨てました。万二郎の表情が曇りました。良庵は、万二郎の表情を見ると、縁側に座って真面目な顔をして「お父上の事、親父から聞いたよ…敵を取るつもりか…」と聞きました。万二郎は、ため息とも返事ともとれるような声で「ああ…」と言いました。良庵は「やめておけ…気持ちは分かるが、今果たし合いなんかしてみろ、せっかくの出世がふいになるぞ…お母上を泣かせる気か…」と言います。万二郎は、黙って下を向いていました。



 良仙の屋敷では、おつねが良庵を探していると、診察室の方から「良庵先生…」と言う、おせきの声が聞こえて来ました。良庵が「お久しぶりです…」と答えました。おつねは、不安そうな表情で二人の会話を聞いていました。

 おせきが「大阪は如何でした…」と聞くと、良庵は嬉しそうな表情で「脇目も振らず勉学一筋の毎日でした…」と答えました。おせきは笑顔で「御立派に学問を修められて、いよいよ身を固められるわけですね…」と尋ねました。良庵は、驚いた表情で目を見開きながら小声で「身を固める…」と聞き返しました。おせきは微笑みながら「お見合いされたと伺いましたが…」と言います。良庵は、まだおせきに未練がある様子で「あっ…あああ…あれは義理ですよ…親の手前、仕方がなく…私が思い続けているのは…」と話していると、後ろの方からおなかが「良庵…」と呼ぶ声がしました。良庵が振り向くと、おなかの後ろにおつねがいました。おなかは「あっ、良庵…おつねさんをお芝居にお連れするんじゃなかったのかい…」と言います。良庵は、慌てておせきの方を振り向くと、おせきの冷たい視線が待っていました。良庵は、双方をごまかすように「あああ…」と笑い出しました。

 おなかは、おせきとおつねを「あっ、こちら、遠縁の娘さんのおつねさん…こちらは、お寺の娘さんでおせきさん…ここを手つだって頂いているの…」と言って引き合わせました。おせきは「お初にお目に掛かります…」と言うと、深く礼をしました。おつねも笑顔で「つねと申します。お見知りおきを…」と言うと、深く礼をしました。おなかは、嬉しそうな笑顔で「おせきさん、お使いを頼まれてくれないかしらね…」と言うと、診察室を出て行きました。おせきは笑顔で「はい」と答えると、おつねに一礼をして、おなかの後を追って行きました。良庵だけが戸惑った表情で「えっ、えっ…あ、いやいや、あの…ちょっと…」と言っておせきの後姿を追うのですが、良庵の後姿におつねの鋭い眼差しが刺さっていました。良庵は、その殺気に気付いたのか、ゆっくりとおつねの方を振り向きました。そして、おつねに視線を合わせると作り笑いをしてごまかしました。



 万二郎は、江戸市中を歩いていました。ここで良庵の声でナレーションが入ります。「万二郎は、父の仇の行方を日々探していた…」と…その時、万二郎の目に、花を抱えて怯えながら、慌てて走っているおせきの姿が映りました。万二郎は「おせき殿…」と声を掛けます。おせきは万二郎の声に気づいて「伊武谷様…」と言うと、万二郎の元に駆け寄りました。おせきの息の音が乱れていました。万二郎は、おせきの様子がいつもと違うので、心配そうに「どうしたんですか…そんなに慌てて…」と聞きました。驚きと恐怖の表情で「見たんです…」と言いました。万二郎は「見た…」と聞き返しました。おせきは、落ち着かない表情で、息を切らせながら「私を襲った、あの浪人です…」と言いました。万二郎の脳裏に、あの時のおせきと楠音次郎の映像が浮かびあがりました。万二郎は「何処で…」と聞きます。おせきが「神楽坂です…お花の先生のお宅に立ち寄った帰りに…」と言うと、万二郎は「神楽坂の何処です…」と聞き返しました。おせきは心配そうな表情で「下総屋という旅籠から出て来ました…」と答えました。万二郎は「下総屋…」と言うと、如何すべきか思いを巡らせていました。



 楠音次郎が、あたりに気お付けながら下総屋から出て来ました。旅籠の前で、手桶から柄杓で水をまいていた女中が、手お休めて音次郎に「行ってらっしゃいませ…」と言うと、深く頭を下げました。その時、木陰に隠れていた万二郎が出て来て音次郎の後姿を睨みつけていました。万二郎は、音次郎が行き去ったことを確認すると、下総屋に入り女中に「今出て行った侍の名前を教えてくれんか…知り合いに似とってな…」と声を掛けました。女中が「楠音二郎様でございますが…」と答えると、万二郎は、すぐさま「楠音二郎…何時からここに…」と聞き返しました。



 万二郎は、居酒屋で一人酒を飲んでいました。万二郎の頭の中は、敵を討つか打たざるべきかで一杯になっていました。そして、扶持高が御加増になった事を「あなた…万二郎を褒めてやってください…」と、仏壇の前で喜ぶおとねの姿や「今果たし合いなんかしてみろ、せっかくの出世が不意になるぞ…お母上を泣かせる気か…」と言う良庵の声が…「どんな訳があろうと、人を殺める事は罪深い事だと思います…」と言う、おせきの声が…「わしは、お前と言う倅を持って、誇りに思うぞ…」と言う、千三郎の声が頭の中を交錯していました。すると万二郎は突然立ち上がって「どうせおれはバカだ…」と言うと、懐から酒代を取り出して、飲み台の上にバシッと叩いておくと居酒屋を出て行きました。万二郎の後姿には、どうしようもない遣る瀬無さが滲み出ていました。

 楠音二郎は、ほろ酔い気分で鼻歌を歌いながら下総屋に帰って来ました。そこへ女中が現われて「お帰りなさいませ…あっ、あの…これをお預かりしているのですが…」と言うと、懐から書状を出して渡しました。音次郎は書状を広げると、入口の提灯の灯りに書状をかざして読み始めました。書状の内容が万二郎の声で読み上げられました。「手塚良仙の件で会いたい…明日の暮れ六つ、神田川の蔵前で待つ…伊武谷万二郎…」と…



 万二郎は、急ぎ足で良仙の屋敷にやって来ました。万二郎は玄関に入ると思い詰めた表情で「ごめん!」と言いました。奥から驚いた表情でおせきが現れました。おせきは「伊武谷様!」と言うと、あがり口に座りました。万二郎は「良庵はいますか…」と尋ねました。おせきが深く一礼していると、おせきの後ろから白衣を着た良庵が現われて、笑みを浮かべながら「おお…どうした…」と言います。万二郎は、真剣な眼差しで「ちょっと顔を貸してくれ…話しがある…」と言いました。良庵が「話なら家で好いじゃないか…おせきさんもいる事だし、茶でも飲んで行けよ…」と言うと、万二郎は「急ぐんだ…」と言って玄関口から出て行きました。良庵は「えっ…何だアイツ…」と言いました。おせきは、心配そうな表情で、万二郎の後姿を見つめていました。



 万二郎が、善福寺の鐘突き堂の横で待っていると、良庵が小走りでやって来ました。良庵が「どうしたんだ…」と聞くと、万二郎は、静かな声で「見つけた…」と言います。良庵の顔が真剣になり「敵をか…」と聞きました。万二郎は「もし、オレが帰らない時は、母の事を頼む…」と言うと、良庵に頭を下げました。万二郎が振り向いて立ち去ろうとすると、良庵は慌てて万二郎の前に立ちはだかり「馬鹿…やめろって言ってるだろう…今がどれだけ大事な時か好く考えろ…五十石加増されたばかりなんだぞ…お城の評定はどうする…すべて棒に振るのか…」と諭しました。万二郎は、目を瞑ってじっと考えていたのですが、目を開けて良庵の顔を見ると「オレは武士だ…すべてを捨ててでも遣り遂げなければならない事がある…それが父の教えだ…」と言うと立ち去ろうとしました。良庵は、万二郎の左手を取って肩を押さえながら「やめろ…行くな…」と言って行かせまいとしますが、万二郎は良庵の手を振り切って行ってしまいました。良庵は、万二郎の後姿をじっと見つめていました。



 約束の暮れ六つ、暗がりの中、神田川の蔵前で、万次郎は待っていました。反対側から楠音二郎が静かに歩いて来ました。万二郎は「楠音二郎か…」と聞きます。音次郎は「伊武谷万二郎…」と言いました。二人の睨み合いが続きました。万二郎は「この時を待っていた…良仙先生の盾となったオレの父は、この川で命を落とした…」と言います。音次郎は、鼻先で「ふん、ははは…」と笑うと「貴様とは、深い縁がありそうだな…で…オレをどうする…」と言いました。袖の中に両手を入れていた万二郎は手を出すと、構え挑みながら「斬る…」と言いました。音次郎は「面白い…」と言うと、いきなり刀を抜きました。それに合わせて万二郎も刀を抜いて応戦しました。音次郎は、万二郎の刀を受けると「いつぞやの決着を付けてやる…」と言います。そして、二人の激しい切りあいが続きました。万二郎の刀が、音次郎の手の甲をかすめました。音次郎は「痛てい…」と言うと、血が滲んだ手の甲を舌でなめました。音次郎は万二郎に「腕を上げたな…青二才…」と言うと、また刀を構えました。二人の激しい切りあいが、また始まりました。そこへ、丑久保陶兵衛が偶然に通り掛かります。陶兵衛は、万二郎の後ろから「楠…手を焼いているようだな…」と声を掛けました。万二郎は、音次郎に刀を向けながら、陶兵衛を睨みつけました。音次郎が陶兵衛に「引っ込んでいろ…」と言います。しかし陶兵衛は「そうはいかん…こいつを生かして返す訳にはいかんからな…」と言いました。その瞬間、音次郎が、万二郎に斬りつけると、万二郎は払いのけ、陶兵衛の方に構えました。陶兵衛の刀の切っ先が、万二郎を容赦なく襲いました。万二郎は、身をかわし陶兵衛の刀から逃れるのですが、不覚にも川の中に落ちてしまいました。音次郎は、その様子を見て「ふん…親父のとこへ行ったか…」と言いました。万二郎の体がなかなか浮かんできませんでした。音次郎は、刀を鞘に納めると立ち去りました。陶兵衛も刀を鞘におさめました。



 万二郎の机の上には、良仙から預かった、種痘所開設の嘆願書と署名簿がありました。そしてその横で、万二郎は熱にうなされて寝ていました。良庵が万二郎の手を取り脈診をしていました。おとねは心配そうに万二郎を見ていました。脈診が終わると良庵は「熱さましを置いていきますから、飲ませてやって下さい…」と言うと、薬をおとねに手渡しました。おとねは「ありがとうございました…」と言うと、良庵に頭を下げました。

 その時、万二郎の意識が回復しました。おとねは「万二郎…」と呼び掛けます。万二郎は「ここは…」と聞きます。良庵は万二郎に「覚えてないのか…お前さん、川に落ちたんだよ…」と言いました。おとねは「いったい何があったんです…」と聞きました。

 万二郎は、突然起き上がりました。そして「母上…今、何どきです…」と聞きました。おとねは「もうすぐ、巳の刻ですが…」と答えました。万二郎は、おとねに体を支えられながら、机の方を振り向きます。そして「評定へ出なければ…」と言いながら、嘆願書を目指してい出しました。おとねが「万二郎…」と言うと、良庵が「そんな体では無理だ…」と言って止めるのですが、万二郎は、嘆願書と署名簿を手にすると「どうしても行かねば成らぬのだ…種痘所の嘆願書を御老中に…」と言いました。おとねは、心配そうに「万二郎…」と呼び掛けました。万二郎は「母上…支度を…」と言います。おとねは、出仕をやめさせようと「万二郎…」と言うのですが、良庵が「わかった…私が送ります…」と言います。おとねは、驚いた表情で良庵の顔を見ると「ええ…」と言いました。



 映像は、江戸城が映し出されていました。ここで良庵の声でナレーションが入ります。「その日の議題は、アメリカが強硬に押し付けようとしている日米修好通商条の約十四カ条についてであった。」と…

 老中たちが話し合っている次の間には、陪臣である万二郎が控えていました。老中の阿倍正弘が万二郎に「面を上げぇ…」と言います。両手を付いて深く低頭していた万二郎は、頭を少し上げて伏し目がちに構えていました。阿部は「伊武谷、久しぶりじゃのう…達者か…」と尋ねます。万二郎は、懸命に「はあ…」と返事をするのですが、病の為かさえない表情でした。阿部は「その方をアメリカ人の元へ使わすように命じたのはわしじゃ…その方なら、ハリス達の真意を読みとれる事が出来ると信じたからじゃ…包み隠さず申せ…アメリカ人は、我が国を攻めようとしていると思うか…」と聞きました。万二郎は「おそれながら、アメリカの本心は戦には無いと存じます。エゲレスやフランスのようには…」と答えました。阿部は「ではなぜ、この様な無理を押しつけて来る…」と聞きます。万二郎は、病のせいかなかなか言葉が出て来ません。しかし、懸命に話し始めるのですが「アメリカは、ただ有利な商売をしたいだけだと存じます。アメリカ人は頑固でわがままでございますが、開けっぴろげでごまかしを嫌います。わ、わたしは…通訳のヒュースケンと…」ここまで言うとついに倒れてしまいました。老中首座の堀田正睦が万二郎の様子を見て「いかがした…気分でも優れぬか…伊武谷…」と声を掛けました。すると万二郎は顔を上げて、突然渾身の力を込めて「江戸に種痘所は如何してもいると存じます…大阪や他国ではすでに実施されております物を…なぜ江戸にだけ許されないのか…」と言いました。その様子を見て、不審に思った阿部は「何を申しておる…」と声を掛けます。すると、万二郎は必死の様相で、懐から上申書と署名簿を出して、声も切れ切れに「どうか…早急に…早急に種痘所を…」と言いながら差し出しました。万二郎の意識は、ここでついに無くなりました。堀田が「伊武谷…伊武谷…」と声を掛けるのですが、万二郎はピクリとも動きませんでした。万二郎は、意識を失う前に、種痘所の件だけは老中たちに取り継がなければと思っていたのです。



 嘆願書と署名簿は、勘定奉行川路聖謨の処へ回されていました。川路が嘆願書を呼んでいると、何処から聞きつけて来たのか、多紀誠斉が「川路様、その嘆願書如何なさるおつもりですか…」と尋ねました。川路は嘆願書を読みながら「阿部様から吟味するように仰せつかった…さて、如何した物か…」と答えました。誠斉は「恐れながら、それにある種痘と申す物は、夷より入りました邪悪の呪術でござる…牛馬獣の痘瘡の膿を人体に植えるという恐るべき迷信にござります。断じてそのような邪法をお許しになってはなりませぬ…」と言います。川路は、頷きながら「ううん…わしには医学の事は分からん…わしは勘定奉行ゆえ、この嘆願で察する事は、酷く金が掛かると言うだけだな…」と答えました。誠斉は、川路を見ながら頷くと横に控えていた元迫に目で合図を送りました。元迫は、風呂敷で包まれた箱を恭しく差し出しました。川路は、誠斉に視線を合わせると「何じゃこれは…」と聞きます。誠斉は「私めの郷里の名物にございます…お口汚しを…」と答えました。川路は風呂敷包みを開けます。誠斉は、じっと川路の様子を見つめていました。川路が箱の蓋を掛けると、菓子ではなく小判を結んだ塊が、幾列も並んでいました。川路は誠斉に視線を合わせると「どういう事だ…」と問い質しました。誠斉は「それは、いつもお世話になります川路様へ、ほんのお礼にございます。決して、他意はございませぬ…川路様の御判断にて、いかような事にお使い下さりましても結構でございます。」と、笑みを浮かべて答えました。

 川路は、万二郎が寝かされていた部屋に来ていました。万二郎は、布団から出て、両手を付いて低頭していました。川路は「種痘所の件で吟味いたした…わしとしては力を貸してやりたいのだが、蘭方医禁止令もある…幕府には貸金もままならぬ事情もある…遺憾ながら、公には今直ちに認める訳にはまいらぬのだ…時期を待てと伝えよ…こ度の嘆願は取り下げよ…」と言いました。万二郎は、深く低頭したまま力なく「はあ…」と答えました。しかし川路は「あははは…」と笑い出しました。そして「落胆致すな…」というと、嘆願書と署名簿と一緒に、小判の入った菓子折を差し出しながら「これはな…ある男が、わしに好き勝手に使えと言って渡した者じゃ…五百両ほど入っておる…これを社中の者に渡してくれぬか…」と言いました。万二郎は、顔を上げて小判の入った菓子折を見つめながら、何とも言えない表情で「はあ…」と答えました。川路は、立ち上がりながら「諦めるな…いずれ時は来る…この金子は、種痘所の支度金に致せ…頼んだぞ…」と言いました。万二郎は、大きな声で「はははは…」というと、深く低頭しました。川路が部屋から出て行くと、万二郎は立ち上がり菓子折りの処へ歩み寄り抱えました。ずっしりと重たそうでした。その時、襖の開く音がしました。万二郎が振り向くと多紀誠斉が「残念だったな…」と言いながら部屋に入って来ました。そして「手塚良仙に伝えろ…無駄な事はするなと…わしの目が黒いうちは…」と言いました。万二郎が立ち上がると、誠斉は、万二郎の持っている菓子折りに気づきました。誠斉は、驚いた表情で「それは…どうした…」と言います。万二郎は、覚めた表情で誠斉を睨みつけると「川路様からお預かりした…種痘所の支度金に充てよと…」と言います。誠斉は、気が抜けたような声で「何…」と言います。万二郎は「お主らが、どんな卑劣な手を使おうと無駄だ…蘭方医の先生がたは、このオレが守る…お主らに殺められた父に代わってな…」と言います。誠斉は「何の事だ…」と取り繕いますが、万二郎は「惚けるな!ここが城中でなければ…」と怒鳴りつけました。誠斉は、慌てて部屋を出て行きました。



 万二郎は、良仙の屋敷で両手を付いて低頭しながら「ご期待に添えず申し訳ありませんでした。」と言います。良仙の前には、ふたが開けられた菓子折があり、中には五百両の小判がぎっしりと並べられていました。良仙は驚いた表情で「うあ、いやいやいや…」と言いながら大きく手を振りました。そして「少なくとも川路様の励ましと、これほどの御貸金があったのだ、これは明るい前途ですぞ…本当にありがとう…万二郎殿…」と言いました。隣にいた良庵も笑顔でした。良庵は、小判の束を両手に一つづつ持つと、お手玉をしながら「奥医師の金で種痘所を作るとは、ざまあみろだ…」と言います。良庵のあまりの浮かれように、良仙は「これ、これ…粗末にするでない…」と注意します。しかし万二郎の表情は硬く、気が晴れないようでした。



 良仙の屋敷では、「高砂屋…」と謡曲が歌われ、三々九度が始まっていました。ここで良庵の声でナレーションが始まります。「安政四年六月十七日、私とおつねは祝言を挙げた…年貢の納め時だった…」と…

 良仙はメガネを外して涙を拭いていました。それを見ながら、おなかが笑っていました…花嫁の父が三味線に合わせて、ひょうきんな踊りをしていると、それを見て良庵が笑っていました。花嫁も顔に笑みを浮かべていました。

 ナレーションが続きます。「同じ日、老中阿倍正弘が病死した…」と…回想の映像が流れます。万二郎は、常陸府中藩の家老に同道されて、阿部に拝謁していました。阿部は「そちの思う事を腹蔵なく言うてみい…」と言います。万二郎は「はっ…御上は今、腐れ木のような有様です…城内でも現に賄賂がまかり通って…」と言います。阿部は「面白い男よ…気に入ったぞ…」と言いました。

 さらにナレーションが続きます。「大きな後ろ盾を失った万二郎は、過酷な運命が待ち受けている事などは、知る由もなかった…」と…良庵の祝言に出席していた万二郎とおせきは、視線を合わせて笑っていました。

 ここで、第5回父の仇は終わりました。





 老中とは、江戸幕府の役職の事です。江戸幕府の最高位は、征夷大将軍ですが、これは徳川宗家の当主が代々受け継いでいました。今でいう総理大臣が世襲されていたと考えればいいのですが、次第に時代が下ると将軍家は実務をしなくなり、老中達が話し合いで政治を動かしていました。幕府における事実上の最高役職とも言えます。老中は、譜代の中小大名から選ばれていたようです。ただし、世情が不安定な時などは、特別に大老という役職がおかれました。大老は、老中の上に置かれ、一人が任命されたので、事実上の首相と言っていいかもしれません。大老に任命される家格は、十万石以上の譜代大名や御親藩と言われる松平姓の藩の当主から選ばれていたようです。大老で有名なのは伊井直弼かもしれません。安政の大獄で、次から次へと開明派を粛清して、ついには桜田門外の変で、水戸浪士に暗殺されるのですが…このドラマでも、もうすぐ登場すると思います。

 勘定奉行とは、現在で言うと財務大臣なのですが、老中が閣僚ならば勘定奉行は閣外相に当たります。家格としては、直参旗本の3000石以上の家柄から選ばれたようです。寺社奉行・町奉行と合わせて、三奉行と言われ重要な役職でした。ただし、寺社奉行は、譜代の小大名や若手の登竜門的役職でしたが、勘定奉行や町奉行は、経験豊かな旗本の上り詰めるべき役職でした。

 陪臣とは、直臣の大名や旗本の家来の事です。将軍から見たら、家来の家来に成るわけです。陪臣にも、大大名の家老クラスには、一万石以上の小大名と肩を並べるぐらいの所領を持つ人もいましたが、どんなに所領を持っていても陪臣は陪臣、原則として将軍に拝謁する事は出来ませんでした。ただし、御三家(尾張・紀州・水戸の徳川家)の付家老は、将軍家の命によって家老となったもので、大名格が与えられ、直臣として認められていました。

 万二郎は、常陸府中藩の家来なので、この陪臣に当たります。しかも50石加増されたとはいえ百石にも満たない軽輩の身でした。その万二郎が、老中の評定に参加できたという事だけでも異例中の異例だったと思います。幕末の動乱の時期に、才能のある下級武士が登用され始めた時代の象徴とも言うべき事かも知れません。幕末から明治維新に掛けて、万二郎のような才能豊かな下級武士が活躍して、近代日本の夜明けをこじ開けて行きます。

 譜代大名に対して外様大名がいます。外様大名とは、関ヶ原の戦い(1600年)以後に臣下となった大名たちの事です。外様大名たちは、原則として幕政に参加する事が出来ませんでした。しかし、幕末が近づくと、ペリーの来航が象徴するように国が乱れ始め、有力な外様大名達が、政治の表舞台に現れます。薩摩・長州・肥前・土佐・宇和島などが有名です。

 石とは、計量の単位であり、一石は十斗。一斗は十升。一升は1.8リットルです。中世末期から近世にはいると、石高制が出来て、米が何石取れるかで土地を換算していました。所領を持たない下級武士でも、俸禄(給料)は五十石というようにしてもらっていました。

 最後に良庵の事を少し書きます。女色の病の為に、腑開け(解剖)をさぼった良庵は、適塾を破門されそうになりました。そして、洪庵が訳したフーフェラントの内科学を丸暗記して、洪庵の口頭試問に受かったなら破門を免れる事になりました。良庵は懸命に勉強し、福沢からも学びました。そして、洪庵の口頭試問にも合格して破門を免れる事になりました。その時、洪庵が優しい眼差しで言った言葉が忘れられません。「フーフェラントの遺誡は、貴君の一生の座右の銘となるだろう…」…洋の東西に関わらず、医は仁術なりという事に変わりはないんですね…そう思いつつ、「フーフェラント 江戸時代 オランダ 医師」で検索してみたら次のページが出て来ました。第 2 回名古屋大学博物館企画展記録 フーフェラントと幕末の蘭方 ... http://ir.nul.nagoya-u.ac.jp/jspui/bitstream/2237/7294/1/num19_149.pdf興味のある方はお読みください。

 

追記

 もうお気づきと思いますが、今回、写真の掲載が途中で出来なくなりました。何回挑戦してもこれ以上の掲載は出来ませんでした。申し訳ありませんでした。理由は分かりませんが、最近、日本のドラマを書くようになって、掲載する写真の量が極端に増えたので、容量が一杯になったのかもしれません。当分の間、写真抜きになるかもしれません。申し訳ありません。これからも宜しくお願いします。

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