子供のころは、兄たちと一緒に父の試合をよく見に行っていました。でも、その頃の父は四十前後で、仕事の量も増えたりして、力が衰えていたのか、あまり活躍をしているところを見たことがありませんでした。でも、若い人と交じって、一生懸命にプレーしていました。
父の影響を受けたのか、私は中学に入るとソフトボールと陸上競技を始めました。ソフトボールは、小さい頃から父とキャッチボールをしていたので、一年からレギュラーでした。父は、仕事の都合がつく時は、よく試合を見に来ていました。ある時、上級生のエラーで、点数をボロボロと入れられた時、私はホームベース上で地面に捕手用のマスクを叩きつけました。それを見ていた父は、チェンジの時、私を呼び付けて「あげなことばしたらいかん、自分一人でソフトボールは出来んよ。チームワークを大切にせにゃいかん。」と叱られました。それを見ておられた顧問の先生が私を呼ばれ、「お父さんから怒られたろ、みんな失敗はするとやから、チームワークが大切かとよ…」と言われました。顧問の先生と父は旧制中学の同級生だったので、父の事はよく理解されていました。
また、陸上競技の試合は日曜日に開催される事が多かったので、はまって観戦に来ていました。スナップ写真をよく撮ってもらいました。そのスナップ写真を見てフォームの研究をしました。
これだけなら、本当に好いお父さんなのですが…。父はお酒が大好きで、酒癖が良くありませんでした。「お酒を飲むのも仕事のうち…」などと言っていました。母は本当に苦労したと思います。でも、晩年には「お父ちゃんのおかげ…」という言葉をよく口にしていました。人間完璧な人はいませんから、これくらいにしておきます。
父は五十二歳で亡くなりました。入院する前日に、私と父は久しぶりにキャッチボールをしていました。キャッチボールが終わって、父が「何かおかしか。あした病院に行ってみよう…」と言いました。その日の夜、コーヒーのサイフォンの内蓋を洗って水を切っていたら、割れるはずのない内蓋が私の手の中で真っ二つに割れました。私はいやな予感がしました。そして、その予感は的中しました。
翌日、父が病院に行ってレントゲンを撮ると、胸に影があったそうです。即入院でした。結局、八ヶ月後に肺がんで亡くなりました。あれから三十三年です。昨年は母も亡くなり、天国で二人仲良く過ごしていると思います。たまには下界の事を思い出して、みんなの事を見守って下さい。
合掌
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