先日、友人に電話をしたら元気がありませんでした。話を聞いたらお母さんの介護の事で悩んでいるようでした。
友人は、もう10年くらいお母さんを介護しています。最初のうちは症状も軽く良かったのですが、最近は夜中に何度も起きてトイレに連れて行ったりして大変でした。それに年寄りは我がままが多く(私の母も同じでした)、口論も多かったようです。それでも一生懸命に、自分の手で介護していました。でも、一人の力では限界があります。私と違って、友人はきゃしゃで、体力がありません。その上、不眠症と闘いながらの介護でした。
デーサービスやショートステーを使うにも、年寄りは嫌がります。それを説得しながらの自宅介護でした。でも昨年の十月に、体力の限界を感じたのでしょう。掛かり付けの病院の滞在型病棟に入院させたのです。
友人が「自分には、いつも頭の中に、母を捨てたのじゃないかと、自責の念がある。」と言うのです。私が「そんな事ないよ。あなたは良くやっているよ。」と言っても、なかなか聞き入れてくれませんでした。私が「あなたがそう思っているのなら、出来るだけ毎日、お母さんの顔を見に行って、お世話をしてやりなさい。」と言うと、「そうしているつもりよ。でも母は、良くなったら家に帰って来るつもりなのよ。だから、一生懸命にリハビリをしているわよ。その姿を見ていると何とも言えない気持ちになるのよ。」と言いました。私には返答のしようがありませんでした。
私が「だからと言って、これ以上は、自宅介護は出来ないでしょう。清水由紀子さんみたいになるのが目に見えているわよ。割り切れないかもしれないけれど、割り切らなければいけないのよ。人は他力を嫌うけれど、本来他力とは神仏の事よ。『人事を尽くして天命を待つ』ということわざがあるけれど、一生懸命にやるだけの事をやったら、その先は他力にすがるしかないのよ。決して恥ずかしい事じゃないわよ。」と言うと……友人は「わかった、ありがとう。やるだけの事はやっているつもりよ。これからもそうするわ。でも、人間の心って弱いのよ……」
友人の心が落ち着いたところで電話を切りました。私たちは、お互いを慰めあいながら介護を続けてきました。私は介護を卒業しましたが、友人はこれからも介護の生活が続きます。介護にはいろいろなパターンがあって一概には言えませんが、心がこもっていれば、神仏は赦して下さると思います。
介護は大変です。やった人でないと分かりません。でも話を聞くことは誰にでも出来ます。みなさんのお近くに介護をしている人がいたら、話を聞いてやってください。介護をしている人を孤独にしないでください。これからも私は、友人と連絡を取り続けるつもりです。
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