横綱大鵬は実に強かった。横綱千代の富士も強かったけど、大鵬には風格があった。千代の富士の場合、体が小さかったという難点があったので、勝負に勝つ相撲だったが、大鵬の場合は、横綱らしい受けて立つ相撲だった。さあ、何処からでも掛かってこいという立ち会いで、胸を出して受けとめていた。若手の力を土俵の上で存分に引き出させ、ジワリジワリと自分の型に持って行き、最後は寄り切り、あるいは上手投げがいつものパターンだった。そんな大鵬に、若手は何時も安心して、頭から思いっきりぶつかって行ったものだ。あの頃の相撲は面白かった。余談だが、大鵬のあまりの強さに「どうせ今場所も優勝は大鵬だろう」と誰もが思い、テレビの視聴率が下がり、NHKが困ったそうだ。
大鵬32回、千代の富士31回の優勝だが、あの千代の富士が大鵬の優勝回数だけは抜くことが出来なかった。千代の富士が国民栄誉賞をもらった時に、私は納得した物の、何で大鵬にもやらないのかと不満を感じていた。そう感じていたのは私だけではないと思う。大鵬と言えば、巨人・大鵬・卵焼き。実に国民に愛された大横綱だった。戦前の双葉山に対して、戦後は大鵬と誰もが思っていた。だから数年前に、大鵬が角界で初めての文化功労者に選ばれた時には、この溜飲が下がって実に嬉しかった。これで数年後には文化勲章もあり得ると思った。
大鵬は引退後、一代年寄として大鵬部屋を起こしたのだが、直ぐに脳梗塞を患い、後遺症と闘いながら、弟子を育てた。そんな中でも、現役時代から社会福祉に興味を持ち、献血輸送車など「大鵬号」として、生涯で70台も寄付し続けた。その姿は身体障害者の希望でもあった。その大鵬が、今日、天に召された。享年72歳だったそうだ。早すぎるとは、一口では言えない努力の積み重ねだったと思う。御冥福を祈りたい!合掌…
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