2013年1月26日土曜日

教職員の早期退職で思う事


 
2013125日の読売新聞朝刊のコラム(編集手帳)に次のような記事があった。

 

 様々な世代にほんのり胸に残る卒業ソングがあろう。『春なのに』(中島みゆき作詞・作曲)は1983年、柏原芳恵さんの歌でヒットした◆その頃に10代を過ごした人たちは、受験に、思春期に、何かとわが子に気をもむ親世代になっているはずである。<春なのにお別れですか…春なのに春なのにため息またひとつ>。近頃はこの詞の「春」を不意に「冬」に代えられたような心境ではなかろうか◆教員らの“駆け込み退職”が各地で問題となる。定年満期より1か月早く辞めると、その月の給料を引いても、手元に100万円ほど多く残るらしい◆子供たちには解いてほしくない計算問題である。あの先生が卒業式にいないのはなぜ?どうして3学期だけ通知表を付ける先生が代わるの?その解は社会科か。わけをだどれば、国や自治体の財政問題に行き着く◆埼玉県では110人が退職する。介護、ローン…やむなき事情も伝えられている。ただ、お金をフイにしても駆け込まない先生が、1000人以上いるという。なんと大勢か。道徳の教科書の余白を埋めるにふさわしいだろう。溜息が消える。

 

 確かに、教職員の早期退職は褒められた事ではない。しかし、非難されるべき事でもないと私は思う。テレビの報道で、文部科学大臣や何処かの県知事が、頭から湯気を出して怒っていたが、政治家に非難される筋合いはない。早期退職をする教職員は法を犯している訳ではない。何処かの政治家のように、汚職をしたり収支報告書を改ざんしたりしている訳ではない。それが見つかったからと言って、秘書がやった事と言って、人に罪をなすりつけたわけでもない。早期退職をする教職員を非難する前に、さっさと定数是正をやれと言いたくなる。

 日本人は、私も含めて、教職員は聖職者であらねば成らぬと思っている人が多いと思う。ならば、聖職者に対する配慮や対応も忘れてはならないと思う。御承知の通り、教職員は年度末にしか人事異動は出来ない。ならば給与を下げるのは年度始めからにするべきではなかったのか?聖書にも試すなかれと書いてある。要らぬ罪を作って教職員が可哀想な気がする。

 バカな県知事が「三月末ではなく1月末にする事によって、人件費が何億節約できると思っているんだ…」と言ったようだが、教職員が早期退職をすることは念頭に無かったのかと言いたい。現場が混乱することや教職員を臨時採用する為の経費はいくら掛かるのかなど考えてもいなかったと思う。知事失格だ!と言いたい。薄っぺらなパフォーマンスが、この様な事態を産んだのだと思う。

 最後に、教職員だけでなく警察職員の問題も考えてもらいたい。かなりの人数が早期退職したようだが、警察官に臨時採用は無い。いや出来ない。四月に採用されても訓練して現場に配備されるのはずっと後だ…治安の問題はどうするのだ。一つの法律を作る時には、そこまで考えるべきものだ。パフォーマンスで政治をやって欲しくない。

2013年1月25日金曜日

体罰と愛の鞭


 2013124日の読売新聞朝刊のコラム(編集手帳)に次のような記事があった。

 

 近鉄球団を常勝チームに育て上げた名将、西本幸雄さんは試合中に選手を殴り、球場を静まりかえらせた事がある◆1球目は打つなと指示したにもかかわらず、いとも簡単に初球を空振りした打者に鉄拳を振り下ろした。が、監督の早とちりだった。打者は円陣の間、バッターボックスにいて指示を聞いていなかったという◆「彼に期待しとったんですなあ。ついカッとなって…後で聞いて、しまったあと思いました」と晩年の講演で振り返っている。ほがらかな回想に大阪の高校生の体罰自殺をかさねる。どちらも殴打なのに、行き着く先は栄光と闇に分かれた。スポーツ界は体罰全面禁止の機運だが、この帰結、児童を犯罪から守る取り組みにどこか似ていないか◆今の子供たちは学校で「知らない人と話すな」と教えられ、街から大人たちとの会話が消えた。陰惨な事件が続いたせいである。失われた交流の代償も、児童の安全のため惜しくないと考える人が多いのだろう◆もんもんとする体罰容認派の方たちに告げたい。いったん闇が現れれば、どんな価値が元の場所にあろうと、戻るのは難しいだろうと。

 

これを読んで、新聞記者と言うのはこういう考え方をするのかと思った。寂しい限りである。体罰と愛の鞭を混同しているような気がする。西本さんが球場で殴った一発と大阪の高校教師が殴った何十発を一緒にしてもらったら堪らない。高校教師の場合、これは明らかに体罰を通り越して、傷害事件としか言いようがないからである。自身のストレスを吐き出す為に殴っているような気がする。こんな教師が全日本ジュニアのコーチをしていたと聞くと、本当に驚かされた。あるいは、そこに元凶があるのではと思った。勝敗至上主義に成るのは、生徒のためではなく、自分の地位を守るためではなかったのか…生徒のためを思って殴った事など無いと思う。そうでなければ何十発も殴れないと思う。

 昔、王さんが、堀内さんを鉄拳制裁したという話を聞いたことがある。他にもこれに類似したことを多々聞いたことがある。ただし、相手の事を思って殴った一発だ。袋叩きにしたなど聞いたことが無い。愛の鞭とはそういうものだ。仮に、記者の言うように体罰が無くなったとして、陰湿な言葉の暴力はいいのだろうか。現代っ子にとって、そちらの方が問題のような気がする。

 私の住む町は、人口三十万の中核都市だ。私が近所のスーパーに買い物に行く途中、見知らぬ小学生に「こんにちは…」と声を掛けられる事がよくある。私は思わず「こんにちは、学校はもう終わったの…道草せずに早く帰りましょうね…」と声を返す事がある。たぶん、大人の目が子供に注がれるようにと、学校で声をかけるように言われているのだろうと思う。コラムに書かれている事とは真逆の世界だ。新聞記者には、一面だけを見て物事を判断してもらいたくないと思った。
 
 追記
 私が小学校低学年の事だった。担任の先生がA君のほっぺたを平手で叩かれた。A君は、どうしてだろうという表情で先生を見つめていた。すると先生が、自分の間違えに気付かれた。先生は、慌ててごめんと言うと、頬ずりするようにしてA君の頬をさすりながら謝られた。私はその光景を見て、担任の先生が以前にもまして好きになった。子どもながらに先生の愛情が見えたのだと思う。

 追記
 長文のコメントを頂いたので、もう少し書く事にします。
 私の記憶では、愛の鞭の語源は、日本ではなくイギリスだと聞いています。イギリスの小学校の教師が、どうしても言う事を聞かない生徒に対して行った行動だと(間違っていたらごめんなさい。)…また、最近韓流ドラマをよく見るのですが、「宮廷女官チャングムの誓い」など、時代劇でよくみられる事ですが、母や師匠が、幼い子供や弟子に対して、間違った事をした時や言う事を聞かなかった時に、叩き棒(竹のような細長い棒)で、ふくらはぎを叩くシーンをよく見ました。韓国には、こんな文化があるのかと驚いたことを思い出します。
 ところで私は、父母から叩かれた記憶はありますが、小学校から大学を卒業するまで、先生に叩かれた記憶はありません。だから昔の日本が、体罰が全ての教育だったとは思いません。ある程度のしつけは、家庭で行われていたように思います。時代の流れかもしれませんが、現代は、家庭が学校に何でも押し付けているような気がします。
 また、昔は、教室で暴れるような生徒はいませんでしたし、教室で生徒に刺されて殉職するような先生もいませんでした。大人たちは、対応に苦しんでいるようにも見えますし、子供たちには、現代病というストレスが、圧し掛かっているようにも見えます。
 私は、体罰を肯定しません。しかし、体罰と愛の鞭は違うものだと思っています。じゃあ、どう違うのか分かるように言ってみろと言われると、理路整然と言う事は出来ません。私には、言葉や文章で表現する力が無くて残念に思います。ただ、韓国の叩き棒のように、ある一定のルールがあるような気がします。勿論、その中には、母や師匠の子や弟子に対する愛も含まれていると思います。
 
 西本さんの件ですが、私はもっと凄いシーンを見た事があります。昔、フジテレビでプロ野球ニースという番組がありました。その番組で、西本さんが解説をしている時に、突然若手の看板アナウンサーを一発殴られました。テレビを見ていた私は、本番中なのになぜと驚きました。温厚そうな顔をしてあるのに、こんな一面もあるのかと…だから、球場で殴った件について、カッとなって殴ったという御意見も良く分かります。しかし、それだけではなかったと思います。なぜなら、西本さんは監督です。「指揮官の言う事を聞けない人間だ」などと思ったら、その選手を使わなければいいのです。それがプロの世界です。しかし、西本さんは使い続けた(この場合、御自分のミスに気付かれていたのですから当然の事ですが、プロの世界には、これに類似した事はよくあると思います。)。その選手の才能を認めていたからだと思います。選手を育てようという気持ちがあったからだと思います。西本さんの心の中に、愛情に近い物があったからだと思います。
昔の言葉に、「言われるうちが花」という言葉があります。小言を言われるうちは、まだ見込みがあるという意味なのでしょうが、何も言われずに降ろされて、以後起用されなかったというケースもあると思います。どんなに言っても一定の水準に達しないと思ったからだと思います。プロの世界とは、そういうものだと思います。だから、西本さんが殴った一発と成長過程の高校生に、キャプテンを辞めたら試合に出さないぞと言って、何十発も殴った教師の体罰(暴行事件)とは違うと思います。
 
大阪の高校生体罰事件で、あぶり出されたのか、全国各地で体罰問題が浮かび上がっています。特に、柔道のナショナルチームの体罰問題は最たるものだと思います。
201321日夕刊のコラム(よみうり寸評)には、次のように書いてあります。
 
技のきれもなければ、動きにスピードもない。全日本柔道連盟の対応はこう酷評されても仕方がない◆柔道の女子日本代表選手ら15人が園田隆二代表監督とコーチから暴力や暴言などパワーハラスメントを受けていたとして日本オリンピック委員会(JOC)に告発したという一件のこと◆はやく言えば<臭い物には蓋>の対応はもう通らないと知るべし。続投の決まっていた園田監督が全柔連に進退伺を出すという展開になった。きのう、監督が記者会見で表明したのだが、その前日、全柔連幹部は監督の留任を明言したばかりだった。◆発端は昨年9月。全柔連は問題の暴力を認知しながら、内々でことを収めようとした。選手1人に謝罪、監督には厳重注意で済ませ、続投は早々と10月に決めた◆これで15人は身内の全柔連を見限り、JOCへ告発に及んだ。組織の中で互いの信頼が崩れているというほかはない。全柔連は事態を軽視し最悪の対応をした◆<礼に始まり礼に終わる>柔道に暴力、暴言。その礼法が泣いている。
 
私もこのコラムに書いてある通りだと思います。全柔連は何を考えているのかと…体罰の内容は伏せてあるので分かりませんが、監督自身が訴えの内容を全部認めているので、かなりの事をやっていたのだと思います。それなのに全柔連は戒告処分にとどめ、人事を変えようとしなかった。インタビューに出て来る柔道関係者は、監督をかばう発言ばかりで、身内を守っていると言われても仕方がないと思います。業を煮やした選手達は、JOCに訴えたのです。しかし、JOCの反応も鈍かったような気がします。全柔連に内部調査をさせて報告を待っていただけなのですから…これが外国なら、直ぐに外部委員会を立ち上げ、監督を休職させて選手と引き離し、徹底的に真実を追求すると思います。いまからでも遅くないので、JOCにはそのような対応をして欲しいと思います。
プロとアマチュアの垣根が狭まれて、どのように表現していいかは分かりませんが、彼女たちは、いわゆるプロとは違います。そしてまだ若く、将来のある選手達です。また、それぞれにコーチもついているはずです。その彼女たちが「恐かった」「代表選考にマイナスになると思って何も言えなかった」と言っているのですから、よほどの事があったと思われても仕方がないと思います。
奇しくも、この日の夕刊の一面に、オリンピックで二連覇をした内柴被告の判決の内容が掲載されていました。教え子を強姦するなんて……全柔連は、恥ずかしくないのかと思いました。今、悪しき意味合いから柔道に注目されているのに…柔道は武道ではなかったのかと、人を作らずして武道と言えるのかと…なのに全柔連は、体罰問題を覆い隠した。外国の新聞社の報道には、「加納治五郎先生は、そのような教えをしていない」とまで書かれた事を恥ずかしく思わないのか!監督コーチの入れ替えは勿論ですが、執行部の総退陣が必要ではないのかと思いました。
2013年2月3日
 
 
追記
 考え方はいろいろあると思います。コメントを下さった方(たぶん、匿名の方とアンドロメダの帝王さんは、同一の方だと思います。)の御意見は謹んで拝聴いたしますが、私の考え方は変わりません。
 私は、子供にとって父母が最高の教師であると思いますし、決してお嬢様でもありません。父はサラリーマンですし、小学校から高校までは普通の公立の学校を卒業しています。また、普通の方よりも、かなりスポーツをしたつもりです。
 子供は、ヤカンの熱さや危険な事を口で言っても分かりません。そういう時は、子供の手をヤカンに少しだけ触れさせる事も大事なしつけだと思いますし、私は、そういうふうにしつけられたと思っております。これは、愛の鞭にも通じる事だと思います。
201324日)


2013年1月19日土曜日

巨人大鵬卵焼き…大横綱大鵬逝く!


横綱大鵬は実に強かった。横綱千代の富士も強かったけど、大鵬には風格があった。千代の富士の場合、体が小さかったという難点があったので、勝負に勝つ相撲だったが、大鵬の場合は、横綱らしい受けて立つ相撲だった。さあ、何処からでも掛かってこいという立ち会いで、胸を出して受けとめていた。若手の力を土俵の上で存分に引き出させ、ジワリジワリと自分の型に持って行き、最後は寄り切り、あるいは上手投げがいつものパターンだった。そんな大鵬に、若手は何時も安心して、頭から思いっきりぶつかって行ったものだ。あの頃の相撲は面白かった。余談だが、大鵬のあまりの強さに「どうせ今場所も優勝は大鵬だろう」と誰もが思い、テレビの視聴率が下がり、NHKが困ったそうだ。

大鵬32回、千代の富士31回の優勝だが、あの千代の富士が大鵬の優勝回数だけは抜くことが出来なかった。千代の富士が国民栄誉賞をもらった時に、私は納得した物の、何で大鵬にもやらないのかと不満を感じていた。そう感じていたのは私だけではないと思う。大鵬と言えば、巨人・大鵬・卵焼き。実に国民に愛された大横綱だった。戦前の双葉山に対して、戦後は大鵬と誰もが思っていた。だから数年前に、大鵬が角界で初めての文化功労者に選ばれた時には、この溜飲が下がって実に嬉しかった。これで数年後には文化勲章もあり得ると思った。

大鵬は引退後、一代年寄として大鵬部屋を起こしたのだが、直ぐに脳梗塞を患い、後遺症と闘いながら、弟子を育てた。そんな中でも、現役時代から社会福祉に興味を持ち、献血輸送車など「大鵬号」として、生涯で70台も寄付し続けた。その姿は身体障害者の希望でもあった。その大鵬が、今日、天に召された。享年72歳だったそうだ。早すぎるとは、一口では言えない努力の積み重ねだったと思う。御冥福を祈りたい!合掌…

2013年1月3日木曜日

セピア色の写真(もう一度輝け)


明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。


 
 先日、親友からゆうパックで小包が送って来ました。開けて見ると、中から手の平に乗るほどのイーゼルの写真立てと、私の店(喫茶ルルド)をしていた頃のマッチをラッピングした物が出て来ました。写真立てには、私と親友のツーショットの写真が飾られていました。思わず懐かしいという声を出してしまいました。その昔、私の店のカウンターに飾られていたものでした。写真は時の流れからか、セピア色に変色していましたが、私の一番輝いていた時の物でした。

 私は年末に、胃の三分の二と十二指腸の狭さく部を摘出する手術をしたのですが、手術の日に、病院まで持って来たそうです。しかし、私は手術が終わってICUに直行したので、渡す事が出来ずに持ち帰ったそうです。その後、私は無事に退院し自宅に戻ったので、郵送したそうです。『もう一度輝け!』と言う、親友からの声無きメッセージでした。友とは好いものですね。